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母が青春過ごした南の島の写真 「当時のパラオを教えてほしい」 息子が沖縄の関係者探す

1/24(金) 5:20配信

沖縄タイムス

 京都府城陽市の高橋正則さん(70)が、パラオで青春時代を過ごした母シゲ子さん(1912~2004年)が遺した写真に写る人たちを探している。高橋さんは「第二のふるさととして生涯母が懐かしんでいたパラオは沖縄からの移民も多かった。写る人を知っている人がいたら写真を提供したい」と呼び掛けている。

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 シゲ子さんは佐賀県生まれ。母親を5歳で亡くし、小学校を中退して子守奉公をしながら暮らしていたが、16歳の頃に写真館を営む叔父を頼って1人でパラオ・コロール島へ渡航した。当時のパラオは日本の統治下で、沖縄からも多くの移民が渡った地。シゲ子さんは「一番仲が良かったのは沖縄の人」と生前よく話していたという。

 看護師として働き、22歳で結婚。その後は夫と商店「ヅボラ堂 高橋商店」を営み、かき氷やパンなどを販売し暮らしていた。

 戦況が悪化した44年4月、シゲ子さんは8歳と3歳の息子2人を連れ、最小限の荷物で日本に引き揚げる。輸送船や護衛艦計6隻で引き揚げる途中、別の船に米軍の魚雷が命中。シゲ子さんの船も大きく揺れ、シゲ子さんは2人を抱きかかえ、揺れと衝撃に耐えたという。

 写真は、この時に持ち帰った約70枚。1930年~40年代の撮影と思われ、戦後もシゲ子さんはとても大事にしていた。

 写真に写るパラオの海やヤシの木、穏やかな日々を見つめながら、高橋さんは「写る方々は誰なのか。母が暮らしたあの時のパラオを教えてほしい」と語る。

 シゲ子さんの死後、高橋さんは地元の新聞に持ち込み、情報提供を呼び掛けてきた。写真と縁のあるパラオ人とは会うことができたが、写真に写る日本人の手掛かりはなかったという。

 問い合わせは高橋さん、メールアドレスat‐taka@nifty.com

最終更新:1/24(金) 5:20
沖縄タイムス

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