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磐城高センバツ出場(1月25日)

1/25(土) 9:06配信

福島民報

 磐城高野球部の父と慕われた阿部政[まさ]右衛門[えもん]の顕彰碑が、いわき市の上荒川公園の丘に立つ。肖像は平野球場を優しく見守る。詩人草野心平揮毫[きごう]の「暖かく強く正しく その生涯を一途[いちず]に生きぬいた人」の文字も刻まれる。

 一九〇六(明治三十九)年の創部時の部員で、卒業後は石炭販売業を営み、物心両面で母校を支えた。甲子園を目前に、勝てない時期を重ねた。球児が実戦練習できるように、平野球場の建設を当時の平市に訴え、一九六〇(昭和三十五)年に実現させた。三十八年前、九十三歳で亡くなる。

 一九七一年四月、常磐で最大の炭鉱が閉山し、暗い空気が漂った。その年の八月、磐城高は春夏通算五度目の甲子園出場を果たす。初戦で優勝候補の日大一高(東京)を下すと快進撃し、準優勝した。県民に勇気を与えた試合は語り継がれる。後輩がセンバツ出場を決めた。

 震災と原発事故、昨年の台風19号と大雨被害…。幾多の苦難を乗り越えて二十一世紀枠で選ばれ、チームは四半世紀ぶりに夢舞台に立つ。「IWAKI」を海の青色であしらったユニホームには、白球を追い続けた多くの先輩の思いが詰まる。憧れの地で、選手を後押しする。

最終更新:1/25(土) 9:06
福島民報

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