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【フェラーリを夢見たアポロ計画】 アポロ3500GT コンバーチブル 前編

1/25(土) 7:20配信

AUTOCAR JAPAN

17才でレーシングカーを自作

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Tim Scott(ティム・スコット)/Robb Northrup(ロブ・ノースラップ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
 
南カリフォルニアで心地よく暮らしていたミルト・ブラウン。若い頃から自身のデザインでクルマを作ることを夢見ていた。

【写真】アポロ3500GT コンバーチブル (22枚)

1960年代当時、スケールモデルやプロトタイプを試作しなくても、本物のクルマを生み出すことは非現実的な目標ではなかった。安全性や環境対策に関する規制も少なく、暖かな陽光が降り注ぐカリフォルニア。何でも試すチャンスは存在していた。

実際、南カリフォルニアは欧州からのエキゾチックなスポーツカーだけでなく、DIYスポーツカーのホームタウンのような場所だった。そこに、情熱を消さずに育った若い男が暮らしていたのだ。

17才になるとMG TDを運転して学校へ通い、クラスH(オーバルレース用)のレーシングカーを自ら設計したブラウン。10年後、アポロ計画をスタートさせる。

イタリアンなボディに、アメリカンな実用性を組合せたグランドツアラーがアポロGT。1962年から1965年の間に生み出された台数は88台のみ。特に今回取り上げるシャシーナンバー2001/204Bの個体は、最も価値のある個体だといえる。

このクルマは9台製造されたアポロ・スパイダーの内の最初の1台。現存するスパイダーは5台しかない。エンジンは3.5Lのビュイック・スペシャル・オールアルミV8が搭載されている。優れたハンドリングとスポーティな走りをアポロに与える、重要な要素だ。

英国人としては、アポロといえばローバー製V8エンジンが思い浮かぶだろう。フロントヒンジのボンネットの中にわずかに傾けて押し込まれている。

ボディはイタリア・インターメカニカ製

当時、ビュイック製コンパクトセダンに搭載されていたこの軽量なエンジンが、クルマの方向性を決める手がかりとなった。アポロ・クーペのボディ製造はイタリア・トリノにフランク・ライスナーが立ち上げたインターメカニカ社に依頼した。

フリーランスの職人が木製ハンマーでスチールパネルを叩いて生み出す、美しいボディを手に入れることができた。ベルトーネやピニンファリーナより遥かに安く。

1カ月に2台のペースでアポロ・クーペを製造。ミルト・ブラウンのオークランドの工場で塗装とボディの仕上げを行い、ドライブトレインと結合した。当時の価格は7105ドル(76万円)。量産モデルとして初めてのアポロ3500GTクーペは、1936年1月のロサンゼルス・モーターショーでお披露目された。

熱い情熱を持った男も80才を過ぎた。今でもアポロ・クーペの1台を所有する彼は、近年評価が改まってきた自身が生み出したクルマに、関心を寄せている。アポロ・コンバーチブルは、何気ない会話の中から生まれたようだ。

「クーペのボディに手を加えることを思いついたのは、イタリアのインターメカニカ社にいた時でした。1963年の春です。その年の秋にサンフランシスコ・モーターショーに出展する予定があり、コンバーチブルの話を進めました」 と振り返るブラウン。

「(カーデザイナーの)スカリオーネに電話し、会議を開きました。2日後、彼はデザインスケッチを持って戻ってきました。コンバーチブルを進めることになり、クルマがカリフォルニアに届いたのはモーターショーの1カ月前でした」

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最終更新:1/25(土) 7:20
AUTOCAR JAPAN

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