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大正・昭和という時代設定でありながら、なんと現代に直接響いてくることか―谷崎 由依『遠の眠りの』中島 京子による書評

1/30(木) 6:00配信

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◆因習から逃れる「女という難民」

大正の終わりごろ、福井の小さな村を舞台に、物語は始まる。本が好きでたまらない貧しい農家の娘、絵子(えこ)は、渡し舟に乗って、裕福な旅館の家の娘、まい子に本を借りに行く。

主人公の絵子はユニークな少女だ。本に魅せられ、物語に心奪われた彼女は、旧弊な家父長制の軛(くびき)から逃れて町に出る。おりしも「昭和のほんとうにはじまっていく年」、「人絹」工場の女工となるのだ。それから絵子は町に初めてできた百貨店に転職することになる。百貨店の食堂で給仕をしながら、ついには百貨店付属の「少女歌劇団」の、座付き作家になるのである。

この時代、頭を使って考えること、学問することは男子にしか許されていない。しかし、絵子は本を読むことによって自らを教育し、「文字から成る書物の冷静な思考」を、つまり考えるための言葉を獲得する。

少女の成長物語のようなやわらかい表情を見せながら、そのじつ、小説は、ある時代を克明に描き出していく。都市生活者、工場労働者が大量に生まれ、正絹が人絹に取って代わられ、人も物も移動するようになり、百貨店が生まれ、都市生活者向け商品が生まれ、大衆が生まれた。労働運動が生まれる時代であり、また、戦争の時代でもあった。

絵子は工場で知り合ったアクティビストの吉田朝子から、雑誌『青鞜(せいとう)』を教えられ、「すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる」という与謝野晶子による発刊の辞に、心揺さぶられる。

福井の百貨店に実在したという少女歌劇団に舞台を移すと、物語は大胆に跳躍する。自身も「少女」であるような絵子が脚本係となり、エキゾチックな顔立ちをし、人には性別を隠しながら舞台に立つ妖艶なキヨという「まぼろしの少女」との交流が描かれる。果たして「少女」とはいったい、何者なのか。そして「少女」が成長した先にある「女」とはいったい何者なのか。

歌劇団の「お話係」である絵子には、女たちの声が響いている。恋する男のために秘密の布を織りあげるまい子や、労働運動に身を投じる朝子だけではなく、歌劇団の少女たち、売られるようにして嫁に行った妹、子どもが生まれないのでいつまでも婚家で居場所を持てない姉、人絹工場の女工たち、ありとあらゆる女たちの声が、まさに糸のように紡がれ撚(よ)り合わさり、「お話」が織り上げられていく。絵子が作ったその「お話」、脚本は、<遠(とお)の眠りの>と名づけられて型破りな演劇となる。それは「女という難民」の物語だと絵子は思う。因習から逃れ出たいと、命からがら逃げてきた、あるいは逃げている女たちの物語だと。

難民というイメージは、小説の中で別のエピソードから侵入してくる。シベリアからウラジオストク経由で福井の敦賀港にたどり着いたポーランドの孤児難民たちの物語が挿入されるのだ。この史実に基づく話から生まれ出るのが、歌劇団の花形「女優」キヨである。

「女」の物語であり、「難民」の物語である小説は、大正・昭和という時代設定でありながら、なんと現代に直接響いてくることか。

芝居の題でもあり、小説のタイトルでもある「遠の眠りの」は、正月によい初夢がみられるようにと、まじないのように唱える回文歌からとられている。「長き夜の、遠の眠りのみな目覚め、波乗り舟の、音のよきかな」。

かつてもいまも、なにかから逃れ出たいと願う女たち(あるいは女ではないものたち)にとって、それはほのかに希望をくれる歌にも聞こえてくる。

[書き手] 中島 京子
1964年東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。出版社勤務を経て渡米。帰国後の2003年『FUTON』で小説家デビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞、2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞、同年『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年日本医療小説大賞を受賞した。他に『平成大家族』『パスティス』『眺望絶佳』『彼女に関する十二章』『ゴースト』等著書多数。

[書籍情報]『遠の眠りの』
著者:谷崎 由依 / 出版社:集英社 / 発売日:2019年12月5日 / ISBN:4087716872

毎日新聞 2020年1月19日掲載

中島 京子

最終更新:1/30(木) 6:00
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