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『セックス・エデュケーション』S2、優しさに貫かれた学園コメディー

1/31(金) 12:58配信

CINRA.NET

※本記事は『セックス・エデュケーション』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。

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■さらに「多様さ」を広げた新シーズン

イギリス発のNetflixオリジナルドラマ『セックス・エデュケーション』が帰ってきた。

おおっぴらには話しづらい「性」にまつわるトピックを堂々とテーマに据えたこのコメディー学園ドラマは、性への関心と悩みが尽きないティーンネイジャーたちの恋や友情、親子関係などを繊細かつユーモラスに描き、シーズン1の配信開始と同時に多くのファンを生み出した。

主人公は、セックスセラピストの母を持ち、経験はないが豊富な性の知識を誇る高校生・オーティス(エイサ・バターフィールド)。シーズン1では、不良少女として校内で名を馳せていたメイヴ(エマ・マッキー)が、校内で密かに生徒をクライアントにした「性のお悩み相談クリニック」を開設することを彼に持ちかけるところから物語が始まり、オーティスとメイヴの関係性の変化や、親友エリック(ンクーティ・ガトワ)の葛藤、個性的な同級生たちの一見ばかばしくも切実な悩みの数々が描かれた。

オーティスとオラ(パトリシア・アリソン)が恋人関係になる形で幕を閉じた前シーズンから約1年。シーズン2は、豊かなキャラクター描写や、タブーを恐れず、10代が直面するデリケートな問題に果敢に向き合う姿勢はそのままに、登場するキャラクター、扱うテーマの両面において作品が包む「多様さ」の範囲をさらに押し広げた内容になっている。

■肌の色、セクシャリティー、体型、家庭環境、障がいの有無など様々な登場人物たち

新シーズンは、前作の最後でマスターベーションができないという悩みを克服したオーティスが、今度はマスターベーションがやめられなくなってしまうという滑稽なエピソードで始まる。学校ではクラミジアが流行し、生徒や教師、保護者を巻き込んだ大パニックが発生。学校から追い出されたメイヴが復学し、オーティスは再びクリニックを始めることになる。

前作は主にオーティスを中心に物語が展開したのに対し、今作では彼を取り巻くキャラクターたちの個々の物語がさらに掘り下げられているのが特徴的だ。両親からのプレッシャーに押しつぶされ自らを傷つけてしまう者、自身のセクシャリティーの流動性を認識する者、怒りや葛藤を内に溜め込み、素直な気持ちを表に出せない者……シーズン2からの新キャラクターも含め、登場人物たちは肌の色、セクシャリティー、体型、家庭環境、障がいの有無などが実に多様だ。さらに今作では親や教師といった大人たちもままならない出来事にぶつかることになる。

■車椅子に乗った皮肉屋の新キャラ。実際に障がいのある俳優が演じることの意義

新シーズンから加わったキャラクターのひとり・アイザックは、メイヴが住むトレーラーハウスの隣に引っ越してくる、車椅子に乗った青年だ。周囲に対しては一見しおらしい態度をとりながらも、メイヴには嫌味や皮肉を言ったり、ちょっかいを出したりと本当の姿を見せる。似たような境遇で育った2人は心を通わせ、それはメイヴとオーティスとの関係にも影響をおよぼしていく。

互いを想い合いながらすれ違い続けるメイヴとオーティスの間に立ちはだかるという点で嫌われ役でもあるアイザックを演じているのは、実生活でも車椅子に乗って生活をしているジョージ・ロビンソンだ。

ロビンソンは障がいのあるキャラクターが登場することの重要性を『Teen Vouge』のインタビューで語っている。彼はまた、実際に障がいのある俳優がそのキャラクターに起用されたことに安心したのだという。

「みんな障がいのある人を知っているはずなのに、メディアでのレプリゼンテーションは変化してきているとはいえ、現実のようにはいってない」「これまでは車椅子の登場人物を車椅子に乗っていない人が演じるという先例があった。僕に声がかかったときは、ただすごく斬新で良いことだと思ったよ」

アメリカの「GLAAD(中傷と闘うゲイ&レズビアン連盟)」が発表しているテレビ作品における多様性に関する最新のレポートによれば、障がいのある人物がテレビ作品のレギュラーキャラクターのうちに占める比率はわずかに上昇傾向にあるものの、実際のアメリカ国内の障がい者の人口比率にはおよんでいない。『セックス・エデュケーション』はイギリスの作品だが、こうした状況を鑑みても本作におけるアイザックの存在と、ロビンソンの起用は大きな意味を持つと言えるだろう。

■「バスに乗れない」という告白から生まれた、女子生徒たちの連帯

現実に生きる私たちがそうであるように、『セックス・エデュケーション』のキャラクターたちは誰もが様々な側面を持つ多層的な人物として画面に登場し、安易なラベリングを拒む。そして個々の人物が紡ぐ物語もまたユニークでありながら、彼らの心の動きに共感を誘われるような普遍性がある。

なかでも特筆したいのが、通学中にバスの中で痴漢被害に遭うエイミー(エイミー・ルー・ウッド)のエピソードだ。楽天的なキャラクターの彼女は当初、自分が痴漢の被害に遭ったことよりもお気に入りのジーンズを台無しにされたことを嘆き、自分の身に起きたことをあまり気にしていないようなそぶりを見せるが、メイヴによって連れて行かれた警察から家に送り届けられ、自室で一人になったところで涙を流す。そしてそれ以来、バスに乗れなくなってしまうのである。

彼女が密かにバスに乗れない苦悩を抱えていたことを周囲の人間が知るのは、物語終盤で複数の女子生徒たちが女性教師に対する卑猥な落書きをしたとして居残りをさせられる場面だ。教師は犯人候補として、所属する友達グループもバックグラウンドも趣味嗜好もバラバラの6人の女子生徒を集め、彼女たちが女性として何か共通点を見つける課題に取り組むよう言い渡す。彼女たちは何の共通点もないという結論に落ち着くどころか言い争いまで始めるが、突然エイミーが「バスに乗れないの」と涙ながらに告白したことをきっかけに連帯を見せる(のちに卑猥な落書きの犯人は女性教師に思いを寄せる男子生徒だということが発覚する)。

痴漢に遭ったときバスで誰も助けてくれなかった、それ以来バスに乗れないと話す彼女の話を聞いた他の女子生徒たちは、それぞれに自分が公共の場で体を触られたり、怖い目に遭った経験を話し出す。バラバラで互いにいがみ合っていた彼女たちは、全員が男性に望まない性的な嫌がらせをされた経験がある、という点で団結するのだ。

■見て見ぬふりをした乗客たち。「安全だと思ってた世界がそうでないと知った」

エピソードの最後で、エイミーは結束した女子生徒たちと共にバスに乗ることができるようになる。「悲しみよりも怒りがある」と話すエイミーに寄り添い、ジャンクヤードで6人がバットやハンマーで物を壊しまくるエモーショナルなシーンもあり、それはシスターフッドを示す、力をもらえるような結末なのだが、エイミーの一連の行動や心情の変化に共感する女性は多いのではないだろうか。

エイミーのエピソードは『セックス・エデュケーション』のクリエイターで脚本も手掛けるローリー・ナンの実体験を反映しているのだという。ナンは「バスの中で性的な嫌がらせを受けた経験があって、大したことじゃないと思おうとしたけどそのことが頭から離れなかった。そういうことは初めてではなかったし、女友達に聞いたらみんな似たような経験をしていた」とキャストたちとの座談会で明かしている。

同じ座談会のなかでエイミー役のエイミー・ルー・ウッドは、劇中でエイミーが負ったトラウマについて「事件そのものもトラウマになる出来事だけど、さらに悪いのは周囲の誰も助けてくれなかったこと。彼女は安全だと思ってた世界がそうでないと知った」、さらに始めは気にしていないそぶりを見せたエイミーの行動について「面倒を起こすべきでない思ってしまって大丈夫なふりをしてしまう」と共感を示している。

なんの共通点もないと思っていた女子生徒たちを結びつけた「同意なしの望まない性的な嫌がらせを受けた経験」は、残念ながら現実社会の多くの女性たちとの共通点でもあるだろう。そういう経験があること、被害にあっても周囲には気にしていないそぶりをしてしまうこと、周囲に見せなくても実はそれが頭から離れないこと。そんな感覚に身に覚えがある女性は多いのではないだろうか。

また一連の出来事のトラウマからバスに乗ることができなくなったエイミーは、ヒールの靴をやめてスニーカーに履き替え、徒歩で移動するようになる。バスに乗らないためにそれまで履いていた靴を履き替えるという彼女の行動は、女性が身の安全のために時に先回りして何かを諦めざるを得ない社会の現状を象徴しているようにも思える。

■「セックスが私たちを完全にするわけじゃない」。作品を貫く「優しさ」

より多様なキャラクター、多様なトピックが描かれた新シーズンは、それまで言いづらかったことや考えていなかったかもしれないことについて、視聴者の思考や会話を生むようなたくさんの種が散りばめられていた。性にまつわるトピックもそれ以外についてでも、他者とのコミュニケーションの方法や、自分と違う他者を思いやることの大切さを教えてくれる。

劇中のあるエピソードで、同級生はセックスのことばかり考えているのに対し、自分はセックスに対して何も感じない、自分は「壊れている」のかもしれないという不安を抱える女子生徒が登場した。主人公オーティスの母ジーン(ジリアン・アンダーソン)は彼女にこう告げる。「セックスが私たちを完全にするわけじゃない。だから壊れているわけなんてないでしょ?」。タイトルに「性教育」を掲げながら、「性」にまつわることだけがその人のすべてを定義づけるものではないというメッセージをも発信しているのだ。

一つの枠に収まらない、複雑な「個」として描かれている登場人物たちは皆、欠点もたくさん抱えており、誰も「完璧」ではない。だからこそチャーミングに映る。ともすれば現実社会で周縁に追いやられることもある多様な立場の人々に対して「あなたを見ているよ」と伝えているかのような、誰も傷つけない優しさによって貫かれた本作は、2020年という新たな時代にふさわしい愛すべき学園ドラマだ。

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最終更新:1/31(金) 12:58
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