ここから本文です

【特集】住宅街に「カンボジア館」の謎 愛された建物が残る理由は...『安かったから』!?

2/4(火) 15:27配信

MBSニュース

1970年の大阪万博の会場には116館のパビリオンが建設され、連日大賑わいでしたが、会期終了後は太陽の塔を残してほとんどが取り壊されてしまいました。しかし、場所を移して、現存するパビリオンがわずかながら存在します。50年の時を経て一体どのような姿になっているのでしょうか。

大阪万博のパビリオンに心を奪われて…11回訪れた万博マニアの男性

2025年に開かれる「大阪・関西万博」まで、あと5年。去年12月から、地元関西が出展するパビリオンについての会議も始まりました。万博の「成功のカギ」を握るパビリオンですが、さかのぼること50年。のべ来場者数6400万人を突破した1970年大阪万博でも、やはりパビリオンが人々の心を鷲掴みにしました。

自他共に認める万博マニアの藤井秀雄さん(61)は小学4年生の時に万博へ行き、衝撃を受けました。

「ここへ来ることによって世界一周しているような、海外旅行している感じにしてくれた。そうしているうちに各パビリオンを見ないと気が済まなくなってしまいまして。」(万博マニア 藤井秀雄さん)

パビリオンで見る新しい世界にどっぷりはまり、藤井さんは半年間の会期中になんと11回も訪れました。

特に印象に残っているのはやはり、太陽の塔です。

「まず会場に来ましたら、この太陽の塔が最初あって『わぁ、これは何やねん』というところから始まって、太陽の塔というのは、ひとつの守護神みたいなもの。」(藤井秀雄さん)

「何でこんなことをするんだ!」太陽の塔取り壊し計画を『手紙』で阻止した少年

しかし、万博終了から4年後、ある新聞記事を見て衝撃を受けます。

『(ダイナ)マイト爆破で散り果てる?』(朝日新聞・1974年10月3日付)

実は、当時定められていた万博の運用ルールで、パビリオンは原則終了6か月以内に撤去することになっていました。万博のシンボルとして太陽の塔は終了後もしばらく残されていましたが、維持費の問題により、ダイナマイトで爆破して取り壊す計画が浮上したのです。

「『これは、なんでこんなことをするんだ』という思いになりまして、すぐに万博協会の方に太陽の塔と大屋根の永久保存を訴える手紙を書きました。」(藤井秀雄さん)

1/3ページ

最終更新:2/4(火) 15:27
MBSニュース

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事