ここから本文です

【Wリーグ・JX-ENEOSサンフラワーズ 吉田亜沙美】純粋なまでに、しかし力強く世界の頂を目指す(3)何をやっていいか、まったくわからなかった

2/5(水) 11:50配信

バスケットボールスピリッツ

【Wリーグ・JX-ENEOSサンフラワーズ 吉田亜沙美】純粋なまでに、しかし力強く世界の頂を目指す(2)キャプテンをやったことが大きかった より続く


吉田亜沙美は生粋のポイントガードではない。彼女自身が自分をポイントガードだと認識したのは2009年以降である。

その年、中川文一(現トヨタ紡織サンシャインラビッツ・ヘッドコーチ)が日本代表のヘッドコーチに就任し、吉田をポイントガードに抜擢した。吉田もそれがポイントガードの始まりだと認めている。

「私を一番初めに正ポイントガードとして起用してくれたのは中川さんだったから、私は今でも中川さんが私をポイントガードにしてくれたって思っています。やっぱりうれしかったですよね。そういうふうに思って見てくれていたんだなって。だから中川さんには感謝しかないです。それがなければJX-ENEOSサンフラワーズに戻ったときもポイントガードではなかったと思います。JX-ENEOSでもヘッドコーチが(佐藤)清美さん(現監督)に替わって、清美さんも私をポイントガードにするって言ってくれていたから、その二人がいなければ私はきっと自分がポイントガードだっていう認識はなかったと思います」

JX-ENEOSでシューティングガードを務めていたときも、日本代表ではポイントガードとしてプレーしている時期はあった。ただしJX-ENEOSがそうであったように正ポイントガードに大神雄子(現トヨタ自動車アンテロープス・アシスタントコーチ)がいる。吉田は彼女の控えに回っていた。経験も実績もない。だからそのころの吉田はポイントガードのポジションを与えられながらも、自分をまだポイントガードだと胸を張って言えなかったのである。

そうした自信のなさはプレーにも表れていたと吉田は振り返る。

「本当に何をやっていいか、まったくわからなかったんです。オフェンスでプレーコールが何個かあるなかで、まず何をコールすればいいかがわからない。何が正解で、何が不正解かがわからない。そうやって最初は悩みながら、自信なさげにプレーしていたから、その自信のなさがチームメートにも伝染していったんですね。でもそれじゃダメだってわかったときに、とりあえず、間違ってもいいから自信を持ってコールしようと思って、やってみたんです。そうしたらみんなが動いてくれて、どうにかディフェンスを崩してくれたときに、『あ、不正解ってないんだな』ってわかったんです。もちろん残り時間やペースによってこのプレーがいいっていう絶対的なものもあるんだけど、それ以外では正解、不正解ってないんだなってわかったときにやりやすくなったかな」

わからないなりに、とにかくやってみる。勇気を出して一歩を踏み出してみる。そうすることでわかることもある。そうやって吉田は自らの道を切り拓いていった。当時はまだ自分をポイントガードだと胸を張れなかったけれども、実はそこに原点はあったのだ。

もしかすると、当時の日本代表を率いていた内海知秀(現レバンガ北海道ヘッドコーチ)もそれを見越していたのかもしれない。将来的に吉田は日本を代表するポイントガードになるかもしれない。そのためにはまず控えのポイントガードとして、その“いろは”を知ることから始めてもらおうと。

その後も吉田は自分なりの試行錯誤を繰り返していく。

「いくつかやってみて、ダメなときはコーチや先輩たちが絶対に言ってくれるから、そこで『あ、これはダメなんだ』ってまた学べる。そうやっていくうちに自分でもどうするべきかを考えるようになったんです」

時間と得点差を考え、今はどのチームメートの調子がよくて、誰の調子が悪いのかを見極める。調子のよいところがあれば、相手チームが対応してくるまで攻め続ける。最初はそんな簡単な判断さえもできていなかった。しかし何もわからない、つまりゼロの状態からポイントガードの“いろは”を知れたことで、吉田はポイントガードとしての土台をしっかりと固めることができたのである。

今の吉田からは想像もつかない。しかし少なくとも吉田にもポイントガードとして学ぶ時期があった。外からでは簡単に見えない苦悩の時期を乗り越えたからこそ、吉田は日本だけでなく、アジアでもナンバーワンのポイントガードへと成長していくのである。

1/2ページ

最終更新:2/5(水) 11:50
バスケットボールスピリッツ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事