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新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される香港、SARS流行当時との決定的な違いは政治情勢

2/7(金) 12:04配信

The Telegraph

【執筆:Holmes Chan】
 香港で新型コロナウイルスの最初の感染者が確認された翌日、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官はスイスで行われたダボス会議で飲茶を振る舞っていた。

 これは世界各国のエリート層に向けた懐柔策の一環だ。何か月にも渡って民主派デモと激しい衝突が続いてもなお、経済活動を続けていた。

 しかし、ようやく不安定な情勢が落ち着く兆しを見せたところで、林鄭氏は拡大する公衆衛生上の危機に立ち向かわなければならなくなった。

 最大の脅威は新型コロナウイルスによって、重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行し、香港の住民300人近くが死亡した2003年の、あの暗黒の日々に戻ることだ。17年たった今でも、その傷跡は生々しく残っている。

 マスクでウイルスの拡散を防げるかどうかは専門家の中でも意見が分かれているが、香港の住民にとっては、もはや条件反射だ。

 SARSが流行した当時、私は小学生だった。両親の言いつけでつけていたN95マスクで顔がこすれた感覚を、今でも覚えている。もっとも、それは感染が拡大して休校になる前の話だが。

 感染が急激に拡大した住宅団地アモイ・ガーデンは子どもの私に、お化け屋敷のイメージを想起させた。

 2003年2月から6月にかけて、香港市民は経済や住宅市場の崩壊を目の当たりにした。失業率も過去最高を記録した。

 誰もSARSに備えておくことはできなかっただろうが、香港は特に準備不足だった。この規模での感染拡大は誰も経験したことがなかったため、どこまで状況が悪化し続けるか見通しがつかなかった。新型コロナウイルスは、かつてのような試練をもたらすのだろうか?

 香港は不安に包まれていて、市民はSARS時代の過ちを繰り返したくないという思いだ。しかし、政府も同じかどうかは、疑問が残る。

 昨年発生した民主化デモで、林鄭氏は自らを窮地に追い込んだ。2003年当時の行政長官は無能と罵られた。しかし今、林鄭氏に向けられている敵意とは比べれば、何でもない。議会では味方が少なく、閣僚の支持率は過去最低だ。

 つまり、林鄭氏が公衆衛生上の危機に対処するために取る政策の一つ一つが物議を醸すことになる。1月26日には、新界地区・粉嶺に新設された未入居の住宅を検疫施設にするという政府の決定に反対する市民が集まり、建物に放火するなどして抗議した。また、今月に入り、医療関係者らがストライキに突入した。

 このような動きは、2003年には想像できなかった。当事者以外から見ると新型コロナウイルスの感染が拡大する中、このような行動は好戦的でむしろ不親切と映るかもしれない。

 しかし、これらは昨年の抗議活動から生まれた正直な感情を反映している──政府が市民のために最善を尽くしてくれないのならば、自分自身と愛する人たちの安全に責任を持たなければならない。そして、うまくいった。

 粉嶺で抗議活動が発生した数時間後、政府は検疫施設の計画を中止し、湖北省からの入境を制限した。

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最終更新:2/7(金) 12:04
The Telegraph

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