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【愛し続けて50年】ウーズレー4/44 すべての思い出が詰まったサルーン 前編

2/9(日) 7:20配信

AUTOCAR JAPAN

免許取得の練習をしたウーズレー4/44

text:Jon Pressnell(ジョン・プレスネル)
photo:Stewart Payne(スチュワート・ペイン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
 
スチュワート・ペインがクルマの免許を取るために練習を始めた1970年。そのことを知った隣人が、ウーズレー4/44を提供してくれたのだという。

【写真】ウーズレー4/44 (21枚)

「再塗装のために、一度だけバラされていました。新しいサイドシルが付いていましたが、プライマー(下地塗装)状態で、リベット止めされていました」 スチュワートが回想する。

「フェンダーは錆びていて、ドアもホイールも、場所によって違う色の物が付いていました。次の車検までは数ヶ月残っていましたが、もともと、もう一度車検を通すつもりはなかったようです」

「隣人は、もし欲しいなら、15ポンド(2000円)で譲るよ、と申し出てくれたんです。わたしはウーズレーが気に入っていました。友人はモーリス・マイナーやミニ、オースチンA40などを買っていて、他とは違うところが良かったんです。色あせたエレガントさが漂っていました」

「天井の内張りは垂れていて、シートは穴が空いていました。あちこちが錆びていて、マフラーは暖炉の煙突のように煙を出しました。でも、車内に座ればレザーの香りがして、ウォールナットのダッシュボードと、スイッチ類が迎えてくれます」

1970年2月、ウーズレーは車検を通過。スチュワートがオーナーになった。控え目な1250ccのプッシュロッドエンジンを積んだ、1956年生まれのサルーン。スチュワートの大切な相棒として、数多くの冒険をともにしてきた。

「走行距離はメーターでは19万3000kmくらいですが、既にオドメーターは2周以上は回っていると思います。数年前からスピードメーターが動かなくなりました」

大人になってからの思い出のすべて

「大人になってからの思い出のすべてに、このクルマが絡んでいます。数多くのクルマを所有しましたが、学生時代も恋愛も、結婚も、常にウーズレーがそばにいました。結婚式では、教会の中にステアリングを外して持ち込みました」

「わたしが行く場所には、必ず一緒。時々、帰って来れなくなったこともありましたが」 当時を知る人によれば、スチュワートとその父が、昔から適切なメンテナンスを施していたという。専門家の助けも借りていた。それが今も現役である理由の1つだろう。

「見た目はさほど重要視していません。補修材だらけです。土曜日はパテ埋めの作業で終わります。毎週、見つけた穴を塞いでいました。メカニズム的には調子は良かったんです。でも、基本的な作業を怠れば、動かなくなることはわかっていました」

「友人が英国中部のリプリーという街で、メソッド・エンジニアリングというガレージを経営していました。技術的に詳しい彼が、古くからの大親友でなければ、このクルマの維持はとても大変なものになっていたでしょうね」

このウーズレー4/44は不可欠な道具でもあった。英国中部、シェフィールドでの学生時代や、新米記者として働き始めた頃は、なくてはならない移動手段だった。

「こんなクルマ、他の誰も所有していませんでした。東部のヨークシャー・ムーアズ国立公園まで、8人で乗り込んで向かった週末は忘れられません。それがわたしの初めての記事でした。地元の新聞の。このウーズレーでよく取材に出かけたものです」

「1977年頃までは日常の足でした。他に持っていたクルマがピンと来ず、今までウーズレーを大切にしてきたんです」 このクルマと育んだ経験は、かえがたいものだろう。

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最終更新:2/9(日) 7:20
AUTOCAR JAPAN

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