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野村克也氏が急逝 ONに燃やし続けた対抗心 テスト生から野球界の宝に

2/11(火) 10:11配信

デイリースポーツ

 プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が死去したことが11日、分かった。84歳だった。

【写真】死の20日前「私に何か用はないですか?」高津監督に売り込む野村克也さん

 現役時代は南海、ロッテ、西武でプレー。契約金なしのテスト生からはい上がり、通算3017試合に出場した。日本歴代2位の2901安打をマーク。8年連続の本塁打王、65年には捕手として史上初めて戦後初の三冠王にも輝くなど、輝かしい成績を残した。

 名捕手としても、日本球界の発展に貢献した。鋭い観察眼で相手の弱点をつき、投手の長所を生かす配球を徹底的に研究。打者への「ささやき戦術」で集中力もかき乱すなど、勝つためにあらゆる手段を駆使した。

 ライバルだった阪急・福本の盗塁を阻止するため、投手に素早い投球モーションで投げるよう要求。これが後のクイックモーションとなった。

 監督としても、球史に名を刻んだ。南海では1度のリーグ優勝。ヤクルト時代には代名詞の「ID野球」を浸透させ、リーグ優勝5度、日本一に3度も導いた。名将として阪神、楽天でも7シーズン指揮を執った。

 また、人気のあった巨人・王、長嶋に対抗心を燃やし続けた。「ONがヒマワリなら、おれはひっそりと咲く月見草」。自虐的な名言も残したが、その反骨心こそ、選手と指導者の両方で頂点を極めた原動力だった。

 他球団から自由契約やトレードで獲得した選手を活躍させる手腕は、「野村再生工場」と呼ばれて注目された。独特な語り口の「ぼやき」もファンの間で定着。“ノムさん”の愛称で親しまれた野球界の宝が、天国へと旅立った。

最終更新:2/11(火) 17:21
デイリースポーツ

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