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野村克則コーチ「これ以上ないコンビ」両親同じ死因

2/11(火) 19:15配信

日刊スポーツ

南海(現ソフトバンク)で戦後初の3冠王に輝き、南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日午前3時30分、虚血性心不全のため84歳で死去した。通夜、告別式は身内だけで行い、後日お別れの会を行う予定。

【写真】96年2月2日、カツノリ(野村克則)のミットを手に、キャッチング法を伝授する野村克也監督

「生涯一捕手」を貫いて45歳で引退するまで、通算3017試合に出場。自らを「月見草」と称して王、長嶋に強烈な対抗心を燃やし、ヤクルト監督時代はデータを駆使する「ID野球」で日本一に3度輝いた。時代をまたいで野球の奥深さを伝え続けた巨星が去った。

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ノムさんが突然、旅立った。急逝の知らせを受けた息子の野村克則楽天1軍作戦コーチ(46)が、キャンプ地の沖縄から帰京し、都内の自宅前で取材に応じた。

一報を受けたのは11日の午前2時過ぎ。風呂場で意識を失っているのを自宅で住み込みで働くスタッフが発見し、救急搬送された。「望みはあるのかなと思ってずっと連絡を待っていたんですけど」。虚血性心不全のため、都内の病院で午前3時30分に息を引き取った。キャンプに向かう直前「頑張れ」と激励されたのが最後に。「正直、急すぎて。実感がなくて」と話した。

54年に南海に入団し、65年には史上2人目、戦後初の3冠王を獲得。通算2901安打、657本塁打、1988打点は歴代2位と強打の捕手として強烈な輝きを放った。引退後はヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、通算24年で1565勝。データを駆使する「ID野球」を掲げ、ヤクルトを3度の日本一に導いた。克則氏は「偉大な存在で、その息子であったことは本当に誇りに思います。選手のときもそうですし、コーチを一緒にできたのもそうですし、すべてがいい思い出でもあるし、自分にとっての財産」と振り返った。

死因は17年に亡くなった妻沙知代さんと同じ。克則氏は「僕が言うのもなんですけど、いいコンビというか、いい夫婦というか。これ以上ないコンビなんじゃないかなと思います。今は2人でいるんじゃないかな」と涙を拭った。

最終更新:2/11(火) 22:22
日刊スポーツ

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