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「球界に革命を起こそう!」江夏豊を救援に、飯田哲也を捕手から外野手に転向させた「野村再生工場」

2/12(水) 5:50配信

中日スポーツ

 プロ野球の南海で戦後初の三冠王に輝き、引退後はヤクルト、楽天などで監督を務め3度の日本一を達成した野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため東京都内の病院で死去した。84歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く。

【写真】恩師ノムさんの死に嶋の涙が止まらない…

 「ワシは野球しか知らん。人生イコール野球や」。野球を愛し、野球にささげた野村さんの84年の人生だった。

 南海の入団テストを受けた時、昼食のカレーライスを何杯もおかわりし、鶴岡一人監督から「あの大飯食らいはカベ(ブルペン捕手)で使えるんやないか」と目を付けられたのは有名な話。名選手、大監督になった後も「カレーが好きで良かったんやね」と、しみじみと語っていた。

 現役時代から、長嶋茂雄さんを意識した言動を繰り返した。「ひまわり」に対して「月見草」、「天才」に対して「凡人」。ヤクルトの監督に就任してからも意図的に巨人・長嶋監督の敵役を演じ、1990年代には巨人―ヤクルトを因縁含みの黄金カードとして世間の注目を集めさせた。

 監督時代は、代名詞となった「ID(データ重視)野球」で一世を風靡(ふうび)した。外角低めを「原点」と呼ぶ配球で投手を育て、投球の組み立てを読んだ打撃で好投手を攻略した。

 選手の可能性をとことん追究した眼力は「野村再生工場」の異名を取り、小早川毅彦や遠山奨志ら壁に当たった選手を何人もよみがえらせた。また、予想もしないコンバートで隠れていた才能を引き出した。先発完投が主流だった南海監督時代に「球界に革命を起こそう」と江夏豊を救援投手に配置転換し、ヤクルト監督時代には俊足だった飯田哲也を捕手から外野手へ移した。

 恩師と慕う選手も多く、楽天の監督だった2009年のパ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)で敗退した時は、楽天の主砲だった山崎武司と日本ハムの吉井理人投手コーチの音頭で、両チームの選手らが野村さんを胴上げした。

 私生活でも、周囲の猛反対を押し切って沙知代さんと結婚するなどいちずな姿勢が目立った。愚直に、真っ正面から野球と向き合った人生に、悔いはなかったように思う。

最終更新:2/12(水) 5:50
中日スポーツ

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