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「誰でもやり直せる」。『キャッツ』を現代社会の文脈で捉えると? 映画と舞台を見比べて感じたこと。

2/14(金) 15:29配信

ハフポスト日本版

ミュージカルの金字塔『CATS(キャッツ)』の実写映画は、もう見ただろうか?

酷評合戦が話題となった海外と比べて、日本での評判はそれほど悪くないようだ。

私も映画を観たが、”ネコ人間”のビジュアルは意外とすんなり受け入れられたし、主人公のヴィクトリアを演じたフランチェスカ・ヘイワードのバレエは絶品だった。映画のためにアンドリュー・ロイド=ウェーバーが作曲、テイラー・スウィフトが作詞した新曲も素晴らしかった。

とはいえ、ミュージカルの『キャッツ』に慣れ親しんだ私が映画を見終えて感じたのは、漠然とした違和感だった。映画館を出てすぐ、劇団四季のミュージカル『キャッツ』のチケットをポチッとしてしまったほど…。

なぜなのか。

映画と舞台への考察、そしてトム・フーパー監督へのインタビューを通して、この違和感の正体について考えてみたい。

(ここから先は、内容のネタバレを一部に含んでいます)

映画の主人公ヴィクトリアは、舞台版では歌もセリフもない。なぜ彼女が主人公になったのか。

ストーリーは簡単だ。

満月が輝く夜、街の片隅のゴミ捨て場に、大勢のジェリクルキャッツが集まっている。ぐうたらなおばさん猫、ちょっぴり兄貴肌の猫、汽車を愛する鉄道猫……。今夜は、年に一度、“ジェリクル舞踏会”が開かれる特別な夜。長老猫に選ばれた一匹のジェリクルキャッツだけが、天上の世界で新しい人生を生きることを許される。その一匹に選ばれるべく、ジェリクルキャッツたちは歌とダンスで自分を表現していくーー。

『キャッツ』の原作は、ノーベル文学賞を受賞したイギリスの詩人、T・S・エリオットの詩集「ポッサムおじさんの猫とつき合う法」。一編が一匹の猫の紹介、というスタイルの詩集で、特筆すべきストーリーがあるわけではない。

したがって、舞台版の『キャッツ』に主役はいない。もっと言えば、人間も出てこない。最初から最後まで個性豊かな24匹の猫たちが歌い踊る、ストーリーよりもショー的な要素が強い作品となっている。

ところが、映画では冒頭に“人間”が登場する。車から降りた人間が、袋に入った白猫ヴィクトリアを捨てるシーンから物語がスタートする。見知らぬ場所に捨てられ、ジェリクルキャッツたちに初めて出会う白猫ヴィクトリアは、私たち観客を映画『キャッツ』の世界に導くガイドでもある。

舞台版には冒頭のシーンは存在しない。ヴィクトリアは、最初からジェリクルキャッツの一員だ。舞台版ではセリフも歌もない役だが(ダンスはある)、映画では主人公である彼女の目線で物語が進んでいく。

なぜ、映画版ではヴィクトリアという主人公を設定したのだろうか。トム・フーパー監督はこう答える。

「ヴィクトリアは、観客の視点を担うキャラクターなんです。ミュージカルなら観客に向かって歌いますが、映画の場合、演者がカメラに向けて歌って踊るわけにはいきませんからね。観客と同じように、キャッツの世界に新しく踏み込んで、いろいろなタイプの猫たちとの出会いを通して成長していきます。同時に、彼女の優しさや純粋さが、ストーリー全体の大きなハブにもなっているわけです」

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最終更新:2/14(金) 15:33
ハフポスト日本版

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