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猪木氏、アリキックは「直感」“キックの荒鷲”藤原氏とレジェンド格闘家対談〈前編〉

2/15(土) 10:00配信

スポーツ報知

 新日本プロレス創始者で元参院議員のアントニオ猪木氏が20日に77歳の喜寿を迎える。今年は1960年9月30日に台東区体育館でプロレスデビューしてから60周年イヤーでもある。昭和の時代に異種格闘技戦など大胆な試合を実行し、カリスマ的な人気を獲得した“燃える闘魂”。スポーツ報知では喜寿を記念して、外国人として史上初めてムエタイの最高峰・ラジャダムナン王者となった元キックボクサーの藤原敏男氏(71)とレジェンド格闘家対談を2週にわたって掲載する。前編はムハマド・アリ戦など異種格闘技戦について。(構成・福留 崇広)

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 猪木「ごぶさたしております。おいくつになられましたか?」

 藤原「今年で72歳になります。猪木先輩は僕より5歳ぐらい上ですね。現役時代は、僕も新日本プロレスの興行に上がって試合をさせていただきました(※1)」

 猪木「あの頃の藤原さんは、すごいっていうより強いっていう印象でした」

 藤原「決して僕は強くはないんですけど、当時、僕もいろんなところに練習しに行って新日本さんの道場でも練習したりしたんです」

 猪木「逆に私の弟子の佐山(サトル、後の初代タイガーマスク)とか、藤原さんのジムへ行って教えてもらっていたと思います」

 藤原「練習のきついところって探して僕のところに来たそうです。レスラーだとは知らなかった。一般の青年だと思っていた。教えればのみ込みも早い。天才です。身体能力も抜群でした」

 猪木「当時は、ひとつの時代が変わっていく時期で、そのきっかけとして私と(ムハマド)アリとの試合(※2)がボーダーラインを超えたといいますか、昔は必ず柔道と空手がどっちが強いとかっていうものがありました。みんな自信家というか、オレが一番って言うわけだから。だったら何が一番強いか決めてやろうっていう思いがありまして、アリ戦に進んでいったんです」

 藤原「アリ戦は、やる前からどんな戦略戦法でいくのか、まずそれが不思議でしょうがなかった。アリはパンチが得意ですから猪木さんがかいくぐってどうやるのか。いろんな戦略戦法がある中で、猪木さんが寝技にもっていった。ああいう戦法を取るというのは感心しました」

 猪木「当時の私は実戦で使えるような蹴りは習ったことがなくて、あの試合で初めて使ったんです。他に何か攻めがあったのか分からないけどルールの問題があってあれしかなかったんですね」

 藤原「猪木先輩がウイレム・ルスカ(柔道)、ウィリー・ウィリアムス(空手)と異種格闘技戦をどんどんやって、どんな戦いになるのか、いつもハラハラドキドキしていました。それで僕もキックのルールだったんですけど、ボクシングの世界チャンピオンの西城正三さんと試合をやった時(※3)にTKOで勝ったんですが、世界チャンピオンのパンチを一発もらったら逆転でKOされる緊張感がありました。その中で自分の間合いを取って戦いを進めていかないといけない。猪木先輩のアリ戦のお話をお聞きして相手の間合いを崩して戦う異種格闘技戦の難しさを思い出しました」

 猪木「私は、難しいことは考えたことがないんですね。試合でも興行でもすべて直感というか。政治の世界も出るぞって言ったら出ただけなんです(笑い)」 =後編に続く=

 ※1 藤原は、新格闘術世界ライト級王者として、1979年2月6日、大阪府立体育会館でシンサック、同4月3日に福岡スポーツセンターでハープランを相手に王座防衛。
 ※2 猪木は、格闘技世界一決定戦として76年6月26日に日本武道館でプロボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリと戦い、15回引き分け。
 ※3 藤原は、73年3月29日に後楽園ホールでキックボクシングに転向した元WBA世界フェザー級王者の西城正三に3回TKO勝ち。

 ◆藤原 敏男(ふじわら・としお)1948年3月3日、岩手・宮古市生まれ。71歳。69年7月、目白ジムに入門。元・極真会館最高師範の黒崎健時氏に師事。同年10月1日、東京・後楽園ホールでキックボクシングデビュー。“キックの荒鷲”と呼ばれ、71年11月5日、全日本ライト級初代王者決定トーナメントで優勝。78年3月8日、モンサワン・ルークチェンマイ(タイ)を破り、外国人初のムエタイ最高峰ラジャダムナン王者となる。79年10月30日、黒崎氏が創設した新格闘術の世界ライト級王者となる。梶原一輝氏が総指揮したドキュメンタリー映画「四角いジャングル」シリーズ3部作(78~80年)にアントニオ猪木らと出演。83年2月に引退し、98年に藤原ジムをオープンし後進を育てた。

 ◆アントニオ猪木 本名・猪木寛至(いのき・かんじ)。1943年2月20日、神奈川・横浜市生まれ。76歳。家族で移住していたブラジルで力道山にスカウトされ60年に帰国。同年9月30日、日本プロレスでデビュー(大木金太郎に敗れる)。72年、新日本プロレス旗揚げ。76年にムハマド・アリと格闘技世界一決定戦(引き分け)。IWGPを創設し初代王者に。89年、スポーツ平和党を結党し、参院選で初当選(1期6年)。95年、北朝鮮で平和祝典を開催。98年4月4日に東京ドームで引退試合(ドン・フライに勝利)。K―1、PRIDEと総合格闘技イベントを仕掛ける。2010年、日本人で初めて米WWE殿堂入り。13年の参院選で日本維新の会から出馬し当選。1期6年務めて引退した。

報知新聞社

最終更新:2/15(土) 10:27
スポーツ報知

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