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かつての”松井キラー”は高校野球監督 ノムさんの「遠山→葛西→遠山」で脚光、指導者としても継投重視

2/15(土) 16:00配信

まいどなニュース

 今月11日「虚血性心不全」で亡くなった野村克也さん。そのノムさんの阪神監督時代に中継ぎ左腕として活躍し“松井キラー”として名をはせた遠山昭治さん(52)は、コーチ、解説者を経て昨年11月に浪速(大阪)の硬式野球部監督に就任し、チーム強化に取り組んでいる。着任を機に名前を「奨志」から本名に戻し、決意も新た。2001年センバツ8強入りした実績校の再建を目指す。

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 いつもの年ならキャンプ地を巡り、沖縄のまぶしい太陽を見上げているころか。大阪府堺市南区にある浪速ふくろうベースボールスタジアム。人工芝の緑が鮮やかなグラウンドで新監督が迎えてくれた。差し出された名刺は「遠山昭治」。原点に返る意味もあるのだろうが、聞くだけ野暮。肩書は硬式野球部監督、それと入試広報部参与とあった。

 「いやぁ、初めてのことばかりで毎日バッタバタ。この年になって学校に通うとは。最近ようやく落ち着いて来たところですかね」

 14年に学生野球資格の回復認定を受けてはいた。昨年6月からは単発で指導し、10月から正式なコーチ。だが、解説者の仕事をなげうっての監督就任には少なからず葛藤もあった。

 「学校側もイメージを一新したかったようですし。高校野球の監督はなろうと思ってなれるもんじゃないしね。年齢的にもこれがラストチャンス。やるなら動けるうちに。最終的には生徒たちを教えたい気持ちが上回った」

 監督として指導する一方でもうひとつの顔は入試広報部の職員。「学習塾やボーイズ、シニアに顔を出し”浪速高校の遠山です”とあいさつ回りしていますよ」

 現在部員は47人。目指す野球はいたってシンプルだ。高校生らしく明るく元気に。「野球、勉強、友だちとの付き合い。うまく切り替えて、伸び伸びやりんしゃい」という。部員も「楽しいです」と声をそろえた。

 現役生活は波乱万丈だった。熊本・八代第一(現秀岳館)から阪神が日本一になった1985年のドラフト1位で入団。86年はルーキーながら8勝を挙げた。「あの年は無我夢中。新聞の見出しで”遠山桜”とつけられ、先輩から金四郎、金さんと言って、かわいがってもらえました」

 その後、左肩を痛め、91年ロッテに移籍。95年には打者に転向し、96年にはイースタン・リーグとはいえ、最多安打を記録した。97年オフ戦力外となると再び阪神へテスト入団。サイドスローに転向した99年には中継ぎとして大活躍し、カムバック賞を獲得した。

 この当時は特に巨人の主軸だった松井秀喜の天敵として君臨。「メジャーでも活躍した選手と対戦できたのは幸せです」。2人の対決は呼び物のひとつだった。

 また、野村克也監督の下、試合の終盤に演じられた右サイドハンドの葛西稔とによる交互の必殺リレーは「遠山・葛西スペシャル」と呼ばれた。

 「阪神に戻るときの監督が入団したときと同じ吉田さん、サイドスローに転向したのもロッテでもお世話になった投手コーチの八木沢さんのアドバイスでした。今回の監督の件といい、人との縁を感じますね。それと打者転向も一塁を守ったのもムダではなかった」

 公式戦初采配は4月の大阪大会。そこへ向け、3月からは練習試合を積極的に組み、メンバーを固めていく。

 「守備はポロポロやってますが、打線は結構粒ぞろい。ピッチャーも右のオーバー、アンダー、サウスポーといろんなタイプがいる。どうつないで行くか。そこは僕の采配にかかっていますね。楽しみですが、不安80%。責任重大です」

 もちろん、やる以上はトップを目指す。

 「履正社、大阪桐蔭がおるけど、常に張り合うぐらいにならんと。でも、こっちはチャレンジャーですから気持ちは楽です。暗黒時代でもどうやったら弱い者が強い者を倒すかを考えてやっていた。浪速の伝統に新しい風を吹き込み、しっかりとした土台を築きたい」

 激戦区を勝ち抜いて、いつの日か甲子園で選手とともに満開の”遠山桜”を咲かせる。

(まいどなニュース特約・山本 智行)

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最終更新:2/15(土) 16:29
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