福島第一原発事故は原発の安全性や運用について大きな疑問を投げかけた。原発を抱える地域は「原発があることの不安、なくなることの不安」に揺れた。日本有数の「原発銀座」と呼ばれる福井県若狭湾沿岸部で、40年以上、原発にあらがってきた松下照幸さん(美浜町在住)を追ったのが、このドキュメンタリー映画だ。
松下さんはデモでスローガンを声高に叫んだり、機動隊と衝突するような闘い方はとらない。生活者として原発と地元のありようを見つめながら、立ちはだかる原発ムラと向き合ってきた。
赤い花をつける「紅どうだんツツジ」の木。地域の原発依存をなくし、いつか地場産業になればとの思いで、松下さんは紅どうだんを植え続ける。岡崎まゆみ監督は7年間にわたり彼に密着、「40年 紅どうだん咲く村で」を制作した。「松下さんの生き方を通して、原発立地地域の現実 を知っていただけたら」と話す。(玉本英子・アジアプレス)
岡崎監督は、松下さんにカメラを向けた思いを語る。
「東日本大震災が起き、福島第一発電所での水素爆発や白い防護服を着た人たちの映像を見て、原発がこんなに危険なものなのかと衝撃を受けました。まずは知りたいと、私が暮らす関西に送られる電気の供給源である福井県の若狭湾周辺の原発地域を訪ねまわりました」
「住民の多くは原発関係の仕事に従事していて、原発のことを話せない空気がありました。一方、反対を訴える人たちも数人いました。そのひとりが、松下さんです。彼は原発に代わる政策提案を町長へ出し続けるのですが、次々と断られます。それでも決してあきらめません。なぜここまで闘えるのだろう。その姿に魅かれ、カメラを回し始めました」。
印象に残るのは、大飯原発3・4号機再稼働協力要請のために当時の経済産業大臣が福井県入り、再稼働に反対する人たちが県庁に殺到、もみ合う場面だ。抗議する多くは県外の電力消費地からの人たちで、地元の反対住民ということで松下さんは抗議の最前列に押し出される。
その後、県庁の職員に(彼らを)どうにかしてくださいと言われた松下さんだが、「僕らの知らん人ばっかりやから」と答える。それは県外の反対運動と協力しながらも、一線を引いているようにも見える。松下さんにとっては「原発廃止」が最終目標ではなく、地元住民として、「その後」のことも考えていかなくてはならない。
原発や核廃棄物処理施設の受け入れと引き換えに、過疎や財政難にあえぐ地域に雇用をもたらし、財政・経済効果が大きいとして立地を認めさせてきたのが日本の原発政策だった。そこに電力会社、関連企業、政府、自治体、地元政治家らが原発ムラという構造を作り上げてきた。私たちが当たり前のように消費する電気についても考えるきっかけになれば、と岡崎監督は話す。
最終更新:3/10(火) 18:21
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