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声高に語られることのない、印刷をめぐる多彩な仕事ぶり―雪 朱里『印刷・紙づくりを支えてきた34人の名工の肖像』平松 洋子による書評

2/19(水) 8:00配信

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◆声高に語られることのない 印刷をめぐる多彩な仕事ぶり

友人のひとりに、実家が印刷会社を営んでいる人がいる。小学生のころ、よく近所の活字鋳造工場にお使いに出されたそうだ。「組版に必要な活字が足りない、急ぐのに誰も現場を離れられないから、すぐ自転車で受け取ってこい、と」。近所には、活字鋳造や植字を生業(なりわい)にする職人さんの自宅兼仕事場があり、子どもなりに思っていた、と彼女が言う。「自分の親もふくめ、印刷業にかかわるひとは一様に佇(たたず)まいがひっそりとしていた」

本書は、印刷物や書物にたずさわる人々の仕事を伝える一冊。雑誌『デザインのひきだし』に、十一年にわたって連載された「名工の肖像」三十三回分と書き下ろし一回分を収録するもので、三十四人のポートレート、各仕事を紹介するカラー写真、ルポルタージュで構成される。

印刷や紙づくりにたずさわる仕事の多種多様なこと! その奥行きに、あらためて驚きと感動を覚える。〈文字や組版〉〈紙〉〈製版・印刷〉〈製本・加工〉の四分野。すでに消えた仕事もある。たとえば、一九二二年生まれ、清水金之助さんが手がけた種字彫刻。活版印刷で使われる活字の母型の、さらにおおもとの種字を手で、しかも逆さに彫る神業。昭和三十年代に彫刻機が普及、清水さんは昭和五十年に廃業を余儀なくされたが、八十歳過ぎて活字研究のために請われて仕事を再開した、その人生の道のりを描く。あるいは昭和三十年代、日本の書籍・新聞の六割以上を手がけた岩田母型製造所の元社長、髙内一さんが文字開発をつうじて見てきたのは、日本の印刷技術の日進月歩である。

「名工」という言葉が、しだいにいぶし銀の輝きをともなって胸に迫ってくる。登場するのは、大上段に構えたり自身の功績を語ったりしてこなかった人々。しかし、本書から伝わってくるのは、こんにちの印刷物をめぐる興隆は、ほかならぬ職人気質(かたぎ)が育んだ緻密な技術によるという事実。ポートレート写真の味のある笑顔も、それぞれの職人人生の充実ぶりをものがたっている。

複雑きわまりない鉄道の時刻表の活字もすばやく組み上げる植字工。名デザイナーの厳しい要望に応えて百種類以上の紙を生み出してきた開発者。特色インキの調色師がいれば、金銀インキの専門調肉師もいる。印刷物の表面に光沢加工するラミネート加工職人。箔(はく)押し職人。断裁・型抜き加工職人。一冊の書籍が誕生するためには、製本職人、紙工職人、本函製造の専門家……専門用語も多いのだが、多彩な世界を知りたくて、ゆっくりかみしだくようにして読む。

終着点のない仕事なのだ。

「機械もお客さんも進化していますし、色の方向性も時代ごとに変わっていく。色なんて人の見方で全部変わりますから、極めきれるものではないんだと思います」(オフセット輪転印刷機職人 五味田光男さん)

デジタル化が進んでも、あらゆる印刷加工の背景には人間の五感や思考がかかわっており、ほっとさせられもする。

職人たちに寄り添いながら、印刷文化の内実を掘り起こす試み。本書に登場する方々に、少なからず物故者があることにも、胸を揺さぶられた。有名無名の人々の手仕事が、こんにちの印刷文化の礎となっている。

[書き手] 平松 洋子
1980年東京女子大学文理学部社会学科卒業。食文化や文芸を中心に、書籍・新聞・雑誌などで広く執筆活動を行う。 『買えない味』(筑摩書房 第16回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)。『野蛮な読書』(集英社 第28回講談社エッセイ賞受賞)。主著に『おいしい日常』『おもたせ暦』『夜中にジャムを煮る』『おとなの味』『焼き餃子と名画座』(いずれも新潮文庫)、『韓国むかしの味』(新潮社 とんぼの本)、『彼女の家出』(文化出版局)、『本の花』(本の雑誌社)、『洋子さんの本棚』(小川洋子との共著 集英社)、『サンドウィッチは銀座で』『ステーキは下町で』『小鳥来る日』『ひさしぶりの海苔弁』『あじフライは有楽町で』(いずれも文春文庫)、『食べる私』(文藝春秋)、『日本のすごい味 おいしさは進化する』『日本のすごい味 土地の記憶を食べる』(いずれも新潮社)など。

[書籍情報]『印刷・紙づくりを支えてきた34人の名工の肖像』
著者:雪 朱里 / 出版社:グラフィック社 / 発売日:2019年12月9日 / ISBN:476613365X

サンデー毎日 2020年2月2日号掲載

平松 洋子

最終更新:2/19(水) 8:00
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