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リチウムイオン電池は何が革命だったのか?<ノーベル化学賞・吉野彰氏インタビュー>

2/19(水) 9:00配信

テレ朝POST

日々の移動手段として欠かせない電車。首都圏を走る電車の床下には、意外なモノが積まれていることをご存じだろうか。

その正体は、リチウムイオン電池。リチウムイオン電池は、大規模停電等が発生した際、車両を最寄りの駅まで走行させることを目的に搭載されている。

今やリチウムイオン電池は我々の生活において、切っても切り離せない存在となっている。

たとえば、スマートフォン。

長時間使用されるほとんどのモバイル機器にはリチウムイオン電池が使われていると言っても過言ではない。

そんなリチウムイオン電池の“開発の父”と呼ばれるのが、旭化成名誉フェローの吉野彰(よしの・あきら)氏だ。

2019年、ノーベル化学賞の栄誉に輝いた吉野氏は、いかにしてリチウムイオン電池を開発したのか。

テレビ朝日では、吉野氏にインタビューを行い、リチウムイオン電池ができるまでの経緯、そして“意外な”活用法について語ってもらっている。

いったい、リチウムイオン電池の発明は何が革命だったのか?

不思議な不思議な、リチウムイオン電池の世界を覗いてみよう。

最大の問題は「負極材料を何にするか?」

ーーリチウム電池が開発された1980年代は、どのような時代だったのでしょうか。

吉野氏:当時は、携帯型の二次電池のマーケットはそんなに大きくなかったんです。せいぜい電気カミソリくらい。ところが、1985年あたりにいろんな機器のポータブル化が広まってきた。その先陣を切って動いたのが、8ミリビデオカメラでした。

電池が小型軽量型にならんとどうにもならんということで、当時はそのビデオカメラにリチウムイオン電池が入れば大きなマーケットになる、ということで研究開発が始まりました。結果的には携帯電話とかスマートフォンの採用につながっていきました。

ーー1980年代、世界の研究者はこぞってリチウムイオン電池の開発に躍起になっていました。しかし、簡単に開発は進まなかった。なぜでしょうか。

吉野氏:金属のリチウムは、水に触れると燃えやすい性質がありました。そのため、安全を確保すべく、独自の実験方法を採用して検証を続けていました。たとえば、電池に重さ5キロの鉄の塊を落とす実験をしたり、ライフル弾を貫通させたりするなど、あえて電池を過酷な状況に置き、検証を繰り返しました。

ーーほかにも、負の電極としてどの素材を採用するのかが焦点だったようですね。

吉野氏:当時、注目されていた新しい素材として、ポリアセチレンというものがありました。これを電池の負極に待っていくのが面白そうだ、と研究が盛んに行われたのですが、ことごとく商品化に失敗してきました。負極をいかに完成させるかが問題だったのです。

ーー負極の材料選びはどのように進んでいったのでしょうか。

吉野氏:材料候補はポリアセチレンから始まって、最終的にはカーボン材料に切り替わっていきました。ここが開発過程で一番の重要なポイントでした。とはいえ、どんなカーボン材料でいいというわけではない。新しいカーボン材料は、たまたま旭化成の別の研究所でVDSFという新しい炭素繊維の研究をやっていた過程で使っていたので、それを採用したという経緯です。

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最終更新:2/19(水) 17:01
テレ朝POST

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