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『インソムニア』に、鬼束ちひろにしか作り出せなかった歌詞世界の本質を見る

2/19(水) 18:02配信

OKMusic

サウンドメイキングの妙味

さて、こうした鬼束ちひろの作風は、サウンドにも多大な影響を与えていると思われる。『インソムニア』収録曲はそのほとんどがピアノ中心のサウンドで構成されている。ちなみにイントロでピアノが鳴らない楽曲はM5「We can go」くらいなもので、あとは清々しいまでにピアノが入っている。バンドサウンドであるM8「Cage」や、音数が多めのM10「眩暈」にしてもそうである。この辺はそもそも彼女の作曲方法がピアノの弾き語りであることに関係しているのかもしれないけれど、そこにこだわりがあることは確実である。それは“album version”となっている3曲を元曲と比べるだけでも分かる。M3「BACK DOOR」、M7「シャイン」、M11「月光」がそれ。いずれも音数を減らしてシンプルに仕上げている。

既発のシングルをアルバムに収録する際に新しいアレンジを施すこと自体はそう珍しいことではないけれども、これらは少し特異な印象がある。特にM3はもともとM7のカップリングである。別にカップリング曲をアルバムに収録する際にリアレンジすることがおかしいとは言わないが、2曲同時はあまり例がないと思う。まぁ、これは、2ndシングルである「月光」がヒットしたことによって、1stシングルの2曲をそのサウンドに合わせた…ということで間違いなかろう。なので、これはまだいい(という言い方も変だけど…)。M3、M7以上に興味深いのはM11である。

2ndシングル「月光」のリリースが2000年8月で、アルバム『インソムニア』が2001年3月発売と、おおよそ7カ月のインターバルが空いているので、“album version”を収録すること自体、これまた珍しいことでも何でもない。だが、「月光」で始まって、さらにシンプルなアレンジの「月光」で終わるというのはあまり類のないことではあろう。興味深い話がある。この「月光」はピアノのみ、ピアノとストリング、バンドサウンドの3つの異なるアレンジが存在したという。

アレンジャーの羽毛田丈史氏によれば、[ピアノだけでは強烈な歌詞には脆弱で、バンドでは楽曲の持つ美しさや儚さが損なわれる恐れがある]とのことで、シングルではピアノとストリングスのバージョンが採用されたそうである(この辺は、2004年に発売された鬼束ちひろのベストアルバム『the ultimate collection』のライナーノーツに掲載されているそうであるが、筆者は未読につき、[]の部分はWikipediaから引用させてもらった)。それが正式な見解であれば、『インソムニア』のM11では歌詞をことさらに強調したということになる。しかも、これをアルバムのフィナーレとしているのだから、彼女のアーティスト性、作家性のアピール以外の何物でもなかろう。本作はミリオンセールスを記録し、鬼束ちひろ最大のヒットアルバムとなった。ということは、このアピールは大成功だったと言っていいのだろう。1stアルバムにして、まさしく入魂の作品であった。

TEXT:帆苅智之

OKMusic編集部

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最終更新:2/19(水) 18:02
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