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クオンタムリープ 代表取締役ファウンダー&CEO 出井伸之

2/21(金) 8:00配信

BCN

 学究肌でスマートな経営者というイメージの強い出井さんだが、ソニーを離れて15年経つ現在も、かつて世話になった社員たちとの交流を続けているそうだ。おそらく、机上での企画立案よりも、現場で働くスタッフの心をつかみ、先頭に立って道を切り拓いていくことに喜びを見いだしていたのであろう。企業経営に必要なのは、卓抜した理論や戦略だけでなく、そうした人的つながりを大切にするモノづくりのマインドであることに改めて気づかされる。(本紙主幹・奥田喜久男)



●企業経営には社内エコノミストが必要だ
奥田 出井さんはエコノミストになるつもりでソニーに入社したとおっしゃいましたが、会社のエコノミストというものは、どうイメージしたらいいのですか。

出井 会社のために、マクロ(巨視)とミクロ(微視)の視点を持つことが重要で、社会的な事象や経済について長期的な分析をして、経営戦略の原案をつくっていく仕事です。私がソニーに入社した昭和30年代には、そういう職業はありませんでした。けれども僕は、それを自ら目指しました。そのスタンスは、基本的に今も変わりません。

奥田 なるほど、そうした視点を持ったうえで出井さんは経営者になられたわけですが、経営者の目線というのは、経営者になったその日から変わるものなのですか。

出井 経営者になる前に、事業部長を10年やっています。事業部長というのは、その部門の経営者ですよね。ですから、その経験をもとに、会社全体の経営者になったということができるでしょう。

奥田 ソニーの事業部長は、理系出身の技術者がほとんどということですが……。

出井 経済出身なのに、僕はオーディオ・ビデオ事業部長も、コンピュータ事業部長もやったんです。文系出身者がコンピュータ事業部長をやるなどということは、ありえない話ですよね。

奥田 では、なぜ出井さんが管理畑のポジションではなく、現場の事業部長になることができたのでしょうか。

出井 40歳くらいのときに、自分で方針を決めたんですよ。好きなものに戻ろうと。

奥田 それはどういう意味ですか。

出井 子どもの頃、オーディオが好きだったと言いましたが、実際にそうした現場の仕事に携わろうと思ったわけです。技術をもとにビジネス化する、つまり文理合併職の事業部長を目指そうと思ったのです。全社で一番業績の悪かったオーディオ事業を立て直すと手を挙げて、それでオーディオ事業部長になったのです。

奥田 それは希望を出されたのですか。

出井 それが通らなかったら、ソニーを辞めようと思っていました。すると、私が一番尊敬する、4代目社長を務めた岩間(和夫)さんが、「そうか、出井がやるのなら失敗するかもしれないけどやらせてみよう」ということで実現したんです。

 いまでも文系の人がそういう仕事にチャレンジしている例は、あまりないんじゃないかと思います。だから、僕が就任したときは、ソニーの技術屋さんたちは上を下への大騒ぎでした。実は、社長になったときよりもオーディオ事業部長になったときのうれしさが忘れられないですね。今考えてみれば、その思い切った挑戦が、社長の道を開いたのだと思います。
●経営の実務の中で複雑系の理論に気づく
奥田 でも、技術者集団の長になるということは、かなりのご苦労があったのではないでしょうか。

出井 そうですね。すごくプライドが傷ついた技術者が多くて、「なんであいつがオーディオ事業部長になったんだよ」と。だから、けっこう風当たりは強かったですね。そのとき助けてくれたのが、オーディオ事業部の古手の女性社員たちでした。

奥田 女性にもてますね。

出井 いや、そういうことではなく、「これから僕はどうしたらいいのだろう」と相談したら、もっと早く私たちに相談しなさいよと。

奥田 それは頼もしい!

出井 昔は、図面を描いていた社員は女性が多かったのですが、彼女たちに本当に助けてもらって、それで技術屋さんたちの中に溶け込めたんです。
 女性といえば、入社したときの上司も女性でした。輸出入の手続きをする部門に入ったのですが、その人が私の書いた英文の書類を全部直して、それをまたアメリカ人のところに持っていってまた直すみたいなことを毎日やらされていたんです。その頃、女性管理職がいた会社はほとんどなかったと思います。そういう意味でも、ソニーはすごい会社だと思いませんか。その人は僕より数歳上だったと思いますが、とても鍛えられました。いまでも頭が上がらない才媛でしたね。

奥田 なるほど、女性に鍛えられ、女性に助けられて道を切り拓いてこられたというわけですね。ところで、出井さんは『非連続の時代』という本も著されていますが、「非連続」の発想はどこから生まれたのですか。

出井 それは量子論ですね。理系出身ではありませんが、相対性理論や量子論などにすごく興味があって、かなり本を読み込みました。そうしているうちに、複雑系の理論というものが世の中に出てきたのですが、その前に僕はそれに気づいていたんです。

 例えば、ソニーで売っている商品の数と売上高を分析していくと、それが突然伸びるときがあるんです。それがリニア(直線的)に伸びていないことに途中で気がついて、そうした現象を追っていくとすごく面白い経営ができるのではないかと。そうした内容のスピーチをしたら、それが複雑系を研究する有名な学者に注目されたんです。

奥田 他から学ぶのではなく、自分の中で構築した考えが、実は先人がやっていたと。

出井 そういうことです。

奥田 リニアではなく、突然進歩をするということには、何が作用しているのでしょうか。

出井 経験をたくさん積んだり、いろいろなトライアルをしたりすると、突然そういう状態になるというのが複雑系の理論です。例えばゴルフの場合、青木功さんに「どうやってスライスを打つんですか」と聞いたら、「出井さん、それはスライスを打つと思うんだよ」と言われてしまいました。スライスを打とうと思ったら、自然に身体がスライスするように動くと。そういうことは、経験を積み重ねたことでできていくんですね。

奥田 裏付けがあって、突然ジャンプするときが来ると……。

出井 そうですね。私は2015年に『変わり続ける』という本を出したのですが、この本は中国語にも翻訳されているんです。ただ、中国語版のタイトルは「定位」といいます。中国ではMBAの教科書のように使われているのですが、「定位」とは「位置が定まった」という意味ではなく、「位置を定めるために努力する」という意味だそうです。

 蛹が蝶になるのも変化に関する一つの理論ですが、経営についての変化をとらえた複雑性の理論というのも、やはり必要だと思います。
奥田 なるほど。これからも生涯現役のビジネスパーソンとして、ますますのご活躍を期待しております。

こぼれ話

 いつかはお会いしたいと思っている人がいつも幾人かいる。野村克也さんもその一人であった。以前、新幹線のグリーン車に乗ろうとしたら、数人後ろにおられた。振り返りざまに目が合った。その瞬間、「心の中を読まれた」と感じた。企業人では小林陽太郎さんがそのうちの一人だった。こんなに美しい経営者がいるものなのだ、と憧れた。出井伸之さんも憧れの企業人として意中にあった。

 人との出会いは“縁”だと思っている。正確に言えば、今日この頃の心境だ。記者の最前線にいた頃は、狩猟者として出会いの機会を求め、挑んでいた。

 出井さんは丑年で猫好き。猫の話はともかくとして、私も丑年。12年先の未来をダブらせながらお話をうかがった。都心の知的空間の中で人生を語り合う。なんと素敵な光景ではないか。鎧を脱ぐという言葉がある。見えない鎧を身体から取り払う。幾重にも幾重にも着合わせた鎧は溶けるように剥がれていく。剥がすには力が要る。力というよりも、技術、いや“ワザ”に近いものが要る。しかも、それは自分でしかやれない。

 人の芯にあるものは何なのだろうか。人の行動は心から発する。心の芯にあるものは何だろうか。中国には禅僧・廓庵が描いた『十牛図』なるものがある。心の芯を求めてさまよい歩く10枚の牛の絵だ。時間に追われている間は余裕がない。その余裕のなさが修行だと言えば、そう言えなくもない。

 対談に指定された60分を少し回ったが、この間にキャッチボールした時間は無限にも通じると思った。『千人回峰』で出会う人との出会いは、見えない糸に導かれた“縁”ではないかと改めて思い始めている。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 

<1000分の第252回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

最終更新:2/21(金) 8:00
BCN

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