ここから本文です

《ブラジル》復興する福島を海外に伝える=移住者子弟の受入れ研修=(5)=無念の想いから震災を語り次ぐ

2/22(土) 7:20配信

ニッケイ新聞

 「あの時、どうしてすぐ逃げなかったんだろうって…。9年経った今も心に残ってるんです」。相馬市伝承鎮魂祈念館で、語り部の五十嵐ひで子さん(72)が、そう後悔の念を口にしたのを聞き、胸 「あの時、どうしてすぐ逃げなかったんだろうって…。9年経った今も心に残ってるんです」。相馬市伝承鎮魂祈念館で、語り部の五十嵐ひで子さん(72)が、そう後悔の念を口にしたのを聞き、胸が痛くなった。が痛くなった。

 穏やかで広々とした海が見える場所で、バスが止まった。少し歩くと『相馬市東日本大震災慰霊碑』と彫られた大きな黒い石碑が目に飛び込んでくる。ここには、震災の犠牲となった市民458人の名前が刻まれている。そのすぐ横に鎮魂祈念館は建っていた。

 大津波の犠牲となった458人のうち1人は、五十嵐さんの夫だ。当時彼女は相馬市の海岸沿いで民宿を経営していた。午後2時46分、「ドッカーン!という物凄い音がして、何かに掴まっていないと動けないくらい強い揺れだった」と生々しく語る。
 地震が収まった後、何度か海の様子を確認しに行ったが、すぐには逃げなかった。しかし、車で来た消防団の人に「今岩手、宮城に物凄い津波が来ているから、早く逃げて!」と言われ、避難の準備を始めた。地震から1時間が経っていた。
 「その時、空は鉛色みたいな色だった」。恐ろしさに右手に叔父、左手に夫と手を繋いで道路に出たその時、何気なく見た後ろから津波が押し寄せてくるのが見えた。
 動けず立ち竦む3人に、波が容赦なく襲いかかってきた。波に体が持ち上げられ、慌てて隣の家の松の木に掴まった。
 荒れ狂うような津波の勢いは凄まじく、五十嵐さんから叔父の手を否応なく引き剥がし、ついには夫の手も――。
 「ひでこー!」と名前を3回呼びながら流される夫に、「お父さん!」と叫んだが、自分も流されてしまった。
 これが夫を見た最後だった…。
 どんどん流される中、「いやだ、おら死にたくねぇ」と大きな丸太に掴まった。気づくと、体は瓦礫の中に埋まっている状態だった。必死に「助けて!」と叫ぶと、消防団の人に救助され、気がついたら病院だった。
 「あの時『父ちゃん、早く逃げっぺ。なんかおっかねぇど』という言葉が出ていれば」。この無念の想いから、震災で得た経験や教訓を語り継ぐ語り部の活動を始めた。
 五十嵐さんは、「皆に一番言いたいのは、自分の命は自分で守ろうということ」と身振り手振りを交えて強調し、「今日聞いたことを家族、友人に伝えてほしい」と訴えた。
 最後に五十嵐さんは、全員と力強い握手を交わして微笑んだ。被災者の経験を直接聞いたことに、アルゼンチンから参加した寺島メリサ・シュウさん(21、三世)は「こんなに詳しく聞いたのは初めてでショックを受けた」と震災の現実を重く受け止めていた。

1/2ページ

最終更新:2/22(土) 7:20
ニッケイ新聞

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo! JAPAN 特設ページ