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検察人事に介入、かつては倍返し 70年近く前の「木内騒動」、さて今回は?

3/11(水) 7:02配信

47NEWS

 1950年6月の第3次吉田第1次改造内閣で、法務総裁(現法相)となった大橋武夫は51年、最高検次長検事の木内曽益(つねのり)を札幌高検検事長に左遷し、広島高検検事長の岸本義広を次長検事に就けようとして、検事総長の佐藤藤佐(とうすけ)らと衝突した。「木内騒動」と呼ばれる。安倍政権が検察官では前例のない定年延長を黒川弘務東京高検検事長に適用したことを巡る「黒川騒動」は、70年近く前の木内騒動と同様、政治による検察人事への露骨な介入に他ならない。木内騒動を振り返り、黒川騒動にも当てはまる教訓を探してみよう。(木内騒動関係は敬称略、共同通信編集委員=竹田昌弘) 

■しのぎ削る「思想検察」と「経済検察」 

 検察では1960年代まで、二つの派閥がしのぎを削った。戦前は警察とともに、治安維持法などに基づき、国家体制に反対または批判的な思想の取り締まりに当たり、戦後は公安事件を担当した「思想(公安)検察」と、戦前から政治家や官僚の汚職などを捜査する「経済(特捜)検察」で、岸本は思想検察の、木内は経済検察のそれぞれ代表格だった。 

 戦前、戦中は思想検察に連なる検事が「思想検事にあらずば検事にあらず」とまで言われ、要職を占めたが、その多くは46年1月、連合国軍総司令部(GHQ)の命令で公職追放となった。ただ朝鮮戦争が始まった50年以降、日本再軍備などGHQの占領政策が変更する中で、思想検事も順次復職した。 

 岸本は戦中に大審院検事(現最高検検事)から東京地裁検事局次席(同東京地検次席検事)、東京地裁検事局検事正(同東京地検検事正)へと昇任した。ところが、敗戦後は公職追放こそ免れたものの、大審院の閑職を経て、46年に札幌控訴院検事長(その後札幌高検検事長)へ。49年には、広島高検検事長に異動させられた。

■昭電疑獄と炭鉱国管汚職、政界に衝撃 

 一方、思想検事の公職追放で、経済検察の検事が要職へ就く。東京地検は48年、復興金融金庫から昭和電工への融資などを巡り、収賄や贈賄などの疑いで、前自由党幹事長の大野伴睦ら多数の国会議員や官僚、銀行の幹部、昭和電工の幹部らを逮捕、起訴した。芦田均内閣は総辞職に追い込まれ、その後、前首相の芦田も逮捕、起訴された。

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最終更新:3/11(水) 7:34
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