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<夢の火をふたたび>アベベの背中追い モスクワ五輪陸上長距離「幻の代表」 伊藤国光さん(65)=伊那市出身 /長野

3/23(月) 12:22配信

東京2020報道特集 オリンピック聖火リレー

 ◇金メダル、後進に託す

 今もモノクロで目に浮かぶ、小学校の講堂で見た1964年東京オリンピック男子マラソン金メダルのアベベ・ビキラ選手(エチオピア)。その背中を追いかけて、日本代表の座をつかんだモスクワ五輪はボイコットで「幻」に。それでも、今は指導者として「夢は一生追い続けられる」と目の輝きを失わない。【原奈摘】

 伊那市出身。西箕輪小4年の時、東京五輪を観戦するため講堂に全校児童が集まった。スポーツのテレビ中継など、ほぼ見たことがない時代。外国人のアスリートを目にするのも初めてだった。画面に映ったのは、スタートから独走状態でそのままトップを譲らないマラソン選手、「王者アベベ」だった。

 衝撃的な強さと、ゴール後も平然とした表情を見せる格好良さから目が離せなかった。目立ちたがりの性格もあり「自分も金メダルを取る」と決めた。翌日の登下校から、家から学校までの3キロの道のりを走るように。上伊那農業高(南箕輪村)では高校駅伝や国体で活躍した。追い求めた走りのスタイルは、もちろん、独走し逃げ切るアベベ選手の姿。「先頭を走れば負けることはない」が信条だ。

 高校卒業後は鐘紡(当時、山口県防府市)の門をたたいた。80年モスクワ五輪1万メートル代表に内定したが、日本のボイコットのため出場はかなわなかった。悔しさはあったが、「いつかマラソンで出る」という思いが強かったため切り替えた。

 86年北京国際マラソンでは2時間7分57秒で、当時の日本最高記録を更新したが、児玉泰介選手(現・愛知製鋼監督)に敗れ2位。不運や国内の選手層の厚さに阻まれ、夢だった五輪出場も、マラソン優勝もかなわなかった。それでも「強豪と戦えた数年間に悔いはない」と胸を張る。

 引退後、指導者になる際に選手時代のトロフィーはほとんど処分した。一部は解体して会社のボウリング大会に使わせるほど、執着はなかった。「自分の栄光よりも、選手の喜びを大事にしよう」と切り替えたかったからだ。現在は広島県福山市でJFEスチールの監督を務める。目指すはもちろん、教え子の五輪金メダルだ。

 今、地元で毎年開かれている「春の高校伊那駅伝」の県内の最優秀選手には「伊藤国光杯」が贈られている。56年の時を経てもなお、アベベ選手の夢を追って走る姿を地元の人々に見てほしい――と聖火ランナーを引き受けた。「夢は老いても追えるし、人が受け継ぐこともできる。そんなことを伝えられたら」

    ◇

 再び聖火がこの街にやってくる――。4月2、3日に東京五輪の県内の聖火リレーが行われる。ランナーに決まった176人は、元五輪メダリスト、中高生、障害を持つ人とさまざまだ。あなたはその火に、どんな夢を託しますか?=随時掲載

毎日新聞

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