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五輪延命の「実験台」

3/25(水) 7:25配信

時事通信

 東京が五輪開催地に決まった2013年9月のIOC総会でバッハ会長が選出された。下火になりかけていた五輪招致の人気を取り戻すべく、会長肝煎りの改革「アジェンダ2020」がほどなくして動きだす。東京はその草刈り場だった。

 東京が招致で訴えたのはコンパクトな会場計画だった。選手村から半径8キロ圏内に85%。経費削減のため既存施設への変更を強いられ、もろくも崩れた。複数の競技会場が埼玉、千葉、神奈川、静岡と都外に移って広域開催になり、警備や輸送が複雑になった。「どっちが高くつくか分からないよ」。大会組織委員会の幹部は嘆いた。

 開催都市が1大会限りで追加できる競技も大半はIOCの意向をくんだ。若者を五輪に引きつけるためスポーツクライミング、スケートボード、サーフィンを入れ、日本が望んだ野球とソフトボールは各6チームに削られて、いびつな競技方式になった。しかも既存と仮設で合わせて5会場が加わり、経費は減るどころかむしろ増えた。

 開幕まで1年を切った昨秋には、マラソンと競歩の札幌開催を突如押し付けられた。酷暑の中東ドーハで行われた世界陸上女子マラソンで棄権者が続出し、危機感を抱いたIOCがトップダウンで強行。一部競技の遠隔地開催に道筋が付いた。

 大会経費の削減、既存施設の最大限の活用、若者へのアピール、さらには開催都市から離れた場所での競技実施も。IOCは五輪招致に二の足を踏む立候補都市をつなぎとめ、五輪の延命を図ろうとした。東京が「実験台」になった。

 迷走した6年半。そのあげく、夏に開幕が迫る中で予期しなかった新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に見舞われ、その余波を受けた。ある五輪関係者は「大過なく開催すること。もはや東京が残せるものはそれだけ」と自嘲するように語っていたが、それすらもできなかった。 

最終更新:3/25(水) 7:54
時事通信

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