およそ2年間、沖縄での生活を記録してきた。もやもやと考えたことも綴ってきた。ぼくは「取材者」なので、沖縄に滞在すること自体が仕事になる。あるいは仕事のこやしになる。「沖縄」を取材して、ノンフィクションで表現することにつなげるから、そういう意味では生活者とはいえないのもしれない。(藤井誠二)
沖縄に仕事場があると他人に言うと、必ずというほど、のんびりできていいですね、とリアクションされる。その人の「沖縄イメージ」では、東京から沖縄へ頻繁に通うことは休息をしにいくのだろうと解釈されているらしいのだが、ぼくにとってはそんな要素はまるでなく、むしろ緊張を強いられている場面のほうが多い。
「ヤマト」から来た取材者がどう立ち回り、ふるまうのか。誰とどんな言葉を交わすのか。そういう生活の中で、「沖縄」で深く受け入れられたという実感を得られたときもあれば、表層ではね返されたと感じたこともあった。深手を負ってしまったなとひどく落ち込むこともあった。それでも、この連載が終わってもぼくの、ぼくなりの二拠点生活は続いていく。
那覇市に仕事場=拠点をかまえてから10年以上が経つけれど、なぐり書きのような、このおよそ2年分の日記を読み直しながら、世の無常を感じている。沖縄の歴史を辿り、いまも押しつけられている「分断」をあらためて思う。不条理の島といったらいいだろう。そのことを無意識に前提にしながら「沖縄」を消費している我々とはいったい何ものなのだろう。いつも、そう思う。
そして、それまで沖縄に行けば必ず何度も会っていた人が世を去り、あるいは沖縄を離れた。新しい友だちもできたが、会う回数が減った人もいるし、いろいろな事情で人間関係が途絶えた人もいる。亡くなった人のひとりはメディア界の大先達で、彼は沖縄に移住してきていた。東京では親交はなかったが、那覇で「出会い直し」をして、拙著『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社)の取材は彼の人脈に拠るところが大きかった。そうそう、ぼくの週刊誌記者時代の先輩とも30年ぶりに那覇で再開し、再びつきあいが始まった。
最終更新:3/26(木) 21:11
DANRO































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