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町田樹が世界を虜にした『エデンの東』“夢の舞台”への道を切り拓いた美学と探求心

3/26(木) 12:03配信

REAL SPORTS

2020年の世界フィギュアスケート選手権は、残念ながら中止となった。出場を予定していた選手たちもさまざまな想いを口にしながら前を向いており、ファンもまた同じ気持ちだろう。世界選手権の名場面を振り返り、美しい記憶に身を委ねながら、新たなシーズンへと想いを馳せる連載の第3回。

あの日、世界を虜にした『エデンの東』。
自分の運命は自分で切り拓く――。
自身が“史上最高傑作”と評する珠玉のプログラムに込められた想いは、そのままに、夢の舞台への道を切り拓いた町田樹の半生へと描き出されていた。

(文=沢田聡子)

ソチ五輪シーズン、町田は強い意志を持って迎えた

町田樹は、2018年10月6日、さいたまスーパーアリーナで行われた「カーニバル・オン・アイス」出演を最後に、プロスケーターを引退している。さいたまスーパーアリーナは、現役時代の町田が記憶に残る名演技を見せてきた会場でもあった。

町田は2006年全日本ジュニア選手権で優勝しているが、シニアに上がったのは2009-10シーズンで、その後2012年までの全日本で表彰台に上がることはなかった。遅咲きのスケーターといえる町田は、23歳で迎えたソチ五輪シーズン、一気に能力を開花させる。その大躍進と、独特の美学を感じさせるプログラムは、今もなお強烈な印象を残している。

ソチ五輪のプレシーズンとなる2012-13シーズンを終えた時点で、町田はソチ五輪日本代表候補の一人ではあったが、有力とは言い切れない立場だった。2012年のグランプリファイナルに進出したことで実力を証明していたものの、同年の全日本選手権では9位に沈み、世界選手権の代表入りを逃している。

ソチ五輪シーズンを前にした2013年春、心機一転のためか髪を短く切り坊主頭にした町田は、五輪への切符をつかむためにあらゆる手段を講じ始める。まず、練習環境としては恵まれていたアメリカから大阪に拠点を変更し、あえて自分を追い込む方法をとった。そして基本となるコンパルソリーや、ジャンプのためにあえて回転をかけずに上に跳び上がるといった地味な練習に励む。また、アスリートとしての在り方を考え直した結果、大学への復帰も決めている。現在研究者として歩んでいる町田のセカンドキャリアは、このシーズンから始まったともいえる。今何をすべきか、根本から問い直して臨んだ町田のソチ五輪シーズンだった。

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最終更新:3/26(木) 12:12
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