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フィギュアスケートと数学で追い求めた美しさ 「盛岡の星」岩手大大学院・佐藤洸彬、次は指導者の道へ

3/27(金) 7:10配信

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「盛岡の星」と呼ばれたスケーターがいる。岩手大学大学院総合科学研究科(修士課程)の佐藤洸彬(ひろあき、盛岡中央)は、学業とフィギュアスケートを両立し、独特の表現力が光った。数学が大好きで中学校、高校の教員免許も取得。このほど、大学院修了とともに競技生活にピリオドを打った。

小4のとき、羽生を見て向上心に火がついた

佐藤は盛岡市生まれ。5歳くらいのとき、姉の影響でスケートを始め、教室に通うようになった。当時、盛岡市内には通年営業のリンクがなく、盛岡のリンクが開いている10月から3月の間以外は、青森の八戸や仙台のリンクに通った。

選手としての意識が芽生え、高まったのは小学4年生のころだった。全日本ノービス選手権(カテゴリーB)に初出場した佐藤の目に留まったのは、1学年上で表彰台に上がった羽生結弦(早大)、田中刑事(倉敷芸術科学大大学院)、日野龍樹(りゅうじゅ、中京大卒)らの演技だった。

「こっちがまだダブルジャンプを頑張ってるときに、もうトリプルジャンプを跳んでましたから、本当にトップ選手だな、と思いました。もっとレベルアップしたいな、と思いましたね」

「表現力の佐藤」が芽生えた

中学1年生のときに転機が訪れた。全日本ノービス選手権(カテゴリーA)で2位になり、フィンランドでの国際大会に派遣された。日本代表だけが着られる「JAPAN」のジャージに初めて袖を通せた。演技を終え、佐藤を待っていたのはたくさんの拍手と歓声だった。

「言葉を使わなくても伝わるものがあるんだな」

佐藤の持っていた才能が花開き始める。「フィギュアスケートは世界でもやってると、肌で感じられました。より一層、表現するのが好きになったと思います」

もともと目立つのが好きで、お客さんを楽しませたいという思いを持っていた。中3まで彼の指導にあたった山崎久仁子コーチは、佐藤のよさを引き出そうとした。王道のクラシックだけでなく、コミカルな曲も踊らせた。カウボーイ、ロック、ジャズ、マンボ……。表現の幅が広がった。

高1から佐藤の指導を引き継いだ佐々木正徳コーチもさまざまなジャンルの音楽に挑戦させた。そこに佐藤操さんの振り付けが加わり、さらに磨かれた。佐藤は「毎年新しいものに挑戦してました」と振り返る。

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最終更新:3/27(金) 7:10
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