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ラグビー日本代表の「スクラム」を作り上げた長谷川慎コーチの「2072枚のスライド」

3/27(金) 16:00配信

本がすき。

昨年、史上初のW杯ベスト8進出で日本中を熱狂の渦に巻き込んだラグビー日本代表。その躍進の鍵の一つであるスクラムは、2019年の流行語大賞にも輝いた「ONE TEAM」の象徴である。スクラムの最前線に立つ選手達に、これまであまりスポットが当たることはなかったが、今回のW杯では大きな注目を浴びた。“世界最強”との呼び声高い「日本のスクラム」の裏側で、どんなフィジカル・心理・頭脳戦が行われていたのか? 長谷川慎コーチへの取材の一部をご紹介します。

※本稿は、松瀬学『ONE TEAMのスクラム』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■長谷川慎コーチが語る日本代表のスクラム

あの熱狂から1カ月半が経った。2019年の師走某日。静岡県盤田市のヤマハ発動機大久保グラウンド。陽が落ちると、風が冷たくなってきた。からだをぶつけるヤマハの選手たちの表情は活き活きとして、独特の熱気がグラウンドには充満していた。

フルコンタクトのラインアウトの練習中だった。日本代表のスクラムコーチを務めていた長谷川慎さんの甲高い声がとぶ。

「ゲームライク! ゲームライク!」

試合のようにやれ、ということである。ゲームのごとく、チーム間の確認は素早く済ませ、ラインアウトの陣形をとろうぜ。本気で相手をつぶしにいけと。

照明がつく。簡素な観客席にはパラパラとヤマハを応援するファンが陣取っていて、呑気な雰囲気が漂っていた。周りの木立から鳥の鳴き声が聞こえてくる。スクラムの練習に移る。8人同士がどんとぶつかる。レギュラー組のフォワード(FW)が押される。緑の芝がめくれた。すかさず、慎さんの声が響く。

「はい。待ったら負け、待ったら負け」

なぜ、押されたのか。どこが悪いのか。「どうして?」。フォワードが円陣をつくって短いトークを始める。ひとつひとつのディテール(細部)の確認をする。もう、いっちょ。いいスクラムだった。

「オッケー。よくなったよ。よくなった」

躍進した日本代表のスクラムを指導した長谷川慎コーチ。日本ならではのスクラム理論をつくり上げ、信念と愛情を持って選手たちに落とし込んだ。モットーが「選手の成長のスピードを上げること」。

慎さんは1972年3月、京都で生まれた。4歳からラグビーをはじめる。京都七条中学から東山高、中央大と進み、サントリーに入社した。プロップとして活躍した。スクラム理論と指導術は日本ナンバーワンだ。

ラグビーワールドカップ(W杯)は1999年大会、2003年大会に出場した。キャップは40を数える。サントリー、ヤマハ発動機でコーチを務める。スーパーラグビーの日本チーム、サンウルブズでも指導した。

慎さんは3年の時間をかけて世界に通用する強力FWをつくり上げた。とくにスクラムで力を発揮させ、2019年のラグビーW杯での快挙を実現させた。選手たちは誰もが、「シンさんのスクラム」と口にした。日本代表のスクラムは、シンさん抜きには語れない。

シンさんは多忙を極め、インタビューのアポ取りは難航した。だが、そこは人のいい慎さん。ヤマハの練習後、やっとのことで実現した。練習が終わる。厳しい表情が消え、細い目をさらに細くして笑いながら、慎さんの愛嬌ある声が遠くから飛んできた。

「センパ~イ」

練習グラウンド脇のクラブハウスの2階のミーティング室でインタビューは決行された。もう、オモシロいのなんのって。スクラムの深奥に触れる話がぽんぽん出てくる。ああ磐田に来てよかった。

スクラム談義は熱を帯び、40分間の予定の至福のインタビューは1時間半余、続いたのだった。

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最終更新:3/27(金) 16:00
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