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なぜ、仲川輝人はJ屈指の選手になれたのか?どん底から這い上がった男の物語

3/27(金) 12:06配信

GOAL

 2020シーズンの主役は誰だ!?このテーマを語るうえで、欠かせない存在がいる。15年ぶりに優勝を成し遂げた横浜F・マリノスにおいて、得点王とMVPのダブル受賞を果たし、一躍時の人となった仲川輝人だ。

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 27歳にして絶頂のキャリアを迎えている仲川だが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。大学時代の大ケガ、プロ入り後に直面した試練……。なにが彼を成長させ、奮い立たせたのか。DAZN(ダゾーン)で配信中の「Jリーグプレイバック #1」では、仲川をよく知る関係者の証言とともに、彼のこれまでのキャリアを振り返っている。

柴崎、宇佐美らと同じ“プラチナ世代”

 アンジェ・ポステコグルー監督が掲げる超攻撃サッカーで、史上まれに見る激闘となったJ1を制した横浜F・マリノス。そんな横浜FMのサッカーで欠かせない存在となったのが仲川輝人だ。161センチと小柄ながら持ち前のスピードに、抜群の得点能力で攻撃陣をけん引。MVPに相応しい活躍を見せた。

「スピードがあるのが一番、それに加えてシュート、テクニック、プラス頭脳のところでどうすれば自分がゴールを狙えるのかというところを考えながらプレーしている。Jリーグの中でもトップクラスだと思いますね」

 そう語るのは、横浜FMのレジェンド・中澤佑二氏だ。現役を退いた2018年まで仲川とプレーした間柄だ。中澤氏が見るこれまでの仲川は「右サイドを崩してアシストをする」イメージであったが、近年では「ゴールへの意識が非常に高くなったのと、より相手に対して脅威になっている」と称賛。今日ではレジェンドをも唸らせる存在にまで上り詰めている。

 1992年生まれの仲川は、いわゆる“プラチナ世代”とも称される年代。日本代表MF柴崎岳や宇佐美貴史が同年代にあたる。前述のふたりが若くして注目を浴びる一方で、仲川が歩んできた道のりは苦難の連続だった。

大学でのケガ、プロ入り後に訪れた試練

 川崎フロンターレの育成組織を経て専修大学に進学した仲川は、大学3年時に関東大学1部リーグの得点王を受賞。大学2年生の時点で、すでに横浜FMが声をかけており、つねに注目の存在であった。大学時代、仲川を指導していた専修大の源平貴久監督は、当時の彼をこう振り返っている。

「入ってきてすぐ主力でやってもらった選手。頼りになる選手ですね。スピードは今と同じようにあって、テクニック、ドリブル、シュート、どれもアベレージが高い選手でした」

 “大学ナンバーワン”の呼び声も高かった仲川だが、卒業目前となった4年生のときに悪夢が襲う。右膝前十字靱帯および内側側副靱帯断裂に右膝半月板損傷。選手生命をも脅かす重傷だった。

 それでも横浜FMは、かねてから注目していた仲川を獲得。それはクラブの仲川への大きな期待の表れでもあった。異例の形での加入が決まった仲川は、リハビリ生活から11カ月でデビューを果たすも、その後は出場機会に恵まれず。プロ初年度は2試合の出場にとどまっている。大学サッカーで華々しいキャリアを積み上げてきた仲川にとっては、屈辱のデビューイヤーとなった。

 プロ入り前から仲川を取材し続ける横浜FMの番記者・藤井雅彦氏は当時の状況を次のように話す。

「当時のマリノスには、中村俊輔やアデミウソンなど、前線に能力の高く実績のある選手が揃っていた。そういった選手たちの牙城を崩せなかったのは事実です」

 また、中澤氏も当時の仲川は「入団してしばらくは、自分のポテンシャルでプレーしていた。足が速いとか上手い選手はよくありがちなんですけど、それ以上のことをしない。それでできちゃうので。もったいないなとは思っていました」と振り返る。

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最終更新:3/27(金) 20:09
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