ここから本文です

「佇まいがもう『女優』でしょ」女優・原田美枝子が監督として高齢の母を撮った

3/28(土) 20:01配信

なかまぁる

女優・原田美枝子さん――認知症の母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』が話題になっています。撮影を通じて、親の、子に対する気持ちのあり方、母ヒサ子さんの人となりがよくわかったそう。引き続き、なかまぁる編集長、冨岡史穂が話を進めます。

【写真】録音や予告編を担当、原田美枝子さんの長男とその妻とヒサ子さん

冨岡史穂(以下、冨岡) 『女優 原田ヒサ子』には、美枝子さんの母であるヒサ子さんを“女優”として映し出しているシーンがあります。お母様はどのように撮影に臨まれていましたか。

原田美枝子(以下、原田) 母には特に説明することなく撮影に臨んでしまったのですが、「何のために撮影をしているのか」はわからなくても、「周囲が自分のために何かをしてくれている」ということはわかっていたように思います。そこが不思議なところですね。映画の終盤で、母と私が海に行くシーンがあるのですが、風が吹き荒れる寒い日にもかかわらず、母はなぜかちゃんと耐えて風に立ち向かっていた。「自分がここで文句を言ってはいけない」ということを、なんとなく感じていたのだと思います。

冨岡 俳優として活躍されている次女の石橋静河さんがカチンコボードを持って目の前に立っている時、ヒサ子さんはどんな様子でしたか。

原田 機材を手にしたカメラマンと目が合うと、母が「よろしくね」と言うのが本当に微笑ましくて。「私のこと、ちゃんと撮ってね」と言っているようで、その佇まいがもう“女優”でしょ(笑)。理屈ではなく、ちゃんとわかっている。そこがチャーミングなところですね。『女優 原田ヒサ子』というタイトルは企画当初から決めていましたが、間違ってはいなかったな、と感じました。

冨岡 ヒサ子さんは「自分も何か表現してみたかった」という気持ちを持ちつつも、その想いを美枝子さんに託すわけではなく、一歩引いたところから実は一緒に生きていた。そのことが作品を観てよくわかりました。

原田 母は「私も女優をやりたかった」なんて、口にしたことはなかった。だからこそ驚きましたし、その思いをなんとかすくい上げたいと思いました。母は10代の頃の戦争体験もよく私に話してくれました。「もっと勉強をしたかった」「踊りをやってみたかった」という気持ちを捨てて戦闘機を造る手伝いをしていた。でも、母はそれに対し、恨み辛みを言うようなことは一切なかったんです。

映画を通して母の人生を伝えていけたら、と思いました。そうすれば、母は無名だけれども、昭和を支えてきた、あるいは私たちを支えているたくさんの親たちが生きてきた証を伝えていくことができる。彼らがいたからこそ、いま私たちはここに立つことができている、というところまで繋げられたらいいですね。
「認知症」と一言で括らず一人一人の姿を見ていくと、みな自分の人生をしっかりと生きてきたことがわかる。体だけ見ると“できないこと”ばかりが気になってしまいますが、内面を丁寧に見つめると、“心”に残っていることが見えてくるんです。

冨岡 「認知症は家族に負担をかけてしまう」というイメージが先行すると、どうしても「自分は認知症になりたくない」という気持ちが強くなってしまいます。でも、家族を含めそれぞれができることをやっていけばいいのかもしれませんね。

原田 認知症は「病気」と括れば病気なのかもしれませんが、果たしてそうなのかな?と、今回、母の様子を見て感じました。母に認知症の症状が出始め、クレジットカードの暗唱番号がわからなくなった頃は、自分の体の中で迷子になっているような印象を受けました。「なぜ? どうして?」と心の部分の理解が追いついていないんですね。
たとえば、脳の血流が悪くなっている方であれば、いつも通っていたお店があり、久しぶりにそこに行ってみようと思っても“血管のルート”が工事をしていたり、狭くなったりしていて、どうしてもそこに辿り着くことができない、そんな感じなのだと思います。心と体の弱っていくスピードが違うことによって起きることなのかな、と感じました。

冨岡 美枝子さんは、映画をつくることでお母様の姿を映し出されましたが、これは様々な立場の人に置き換えて考えることができるとも考えていらっしゃるそうですね。

1/2ページ

最終更新:3/28(土) 20:01
なかまぁる

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事