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縁なき陸軍中将の位牌、なぜ民家に…? 手がかりを求め山あいの集落へ

3/28(土) 10:52配信

西日本新聞

 富山県出身の陸軍中将の名前が記された位牌(いはい)が、大分県日田市の民家で見つかった。住民と中将の間には縁もゆかりもないという。戦後75年を迎え、今や事情を知る親族もいない。なぜ中将の位牌が-。

【写真】長瀬武平陸軍中将

 日田市の山間部にある小野地区。住民の井上利男さん(68)によると、数年前に仏壇を買い替えた際、位牌の裏に「陸軍中将長瀬武平」と書かれていることに気付いた。位牌は物心ついたときから仏壇にあったが、手に取って見たことはなかったという。表には「殉国之英霊」の文字。妻明美さん(64)は「戦争の犠牲者に違いない」と考え、親族ではないと知りつつも井上家の過去帳に「長瀬武平」の名を記し、先祖と同様に供養してきた。

 日本陸軍将官辞典によると長瀬は、終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾と士官学校の同期生。満州事変や日中戦争(支那事変)に参戦した。1938年発行の雑誌「富山県人」では、<支那事変勃発するや部隊長として赫々(かっかく)たる戦績を挙げ、かつて熱河戦鬼連隊長の偉名に劣らざるの血勲を現はした>(原文ママ)と紹介されている。

 38年に中将に昇進し、福岡県久留米市の第12師団留守師団長を2年間務めた。予備役編入後、45年4月に対馬要塞(ようさい)司令官に就き、終戦を迎えている。

 戦史を調べる防衛研究所の担当者は「対馬で生きたまま終戦を迎えており、長瀬中将の位牌とは考えにくい。死んだ部下や遺族に向けて長瀬中将が書いたのではないか」とみる。ただ、井上家に戦死者はおらず、戦時中のことを話せる家族もいない。

 謎を解く手掛かりを求めて山あいの集落を歩いた。

山の集落に弔いの記憶 見送った兵らに同じ位牌?

 大分県日田市の民家で見つかった位牌(いはい)。名前がある陸軍中将長瀬武平は、日中戦争が起きた翌年の1938年7月に陸軍中将となり、福岡県久留米市の第12師団に留守師団長として配属された。

 陸上自衛隊久留米駐屯地によると、留守師団は補充兵を訓練し、戦地に送り出す役目を担った。補充兵は日田市も含む北部九州から集められた。長瀬は40年8月に現役から退いており、戦死した部下のために位牌を作ったとすれば留守師団長だった2年間と考えるのが自然だろう。

 当時は太平洋戦争開戦前で、戦闘地域は主に中国。位牌が見つかった小野地区に日中戦争の戦死者遺族がいると聞き、訪ねた。野田勝則さん(88)。父・親松さんは日中戦争で「久留米の師団に召集された」。杭州湾上陸作戦に参加後、斥候中に敵兵に撃たれ亡くなった。32歳だった。

 「村で最初の戦死者で『英霊の息子』とちやほやされた。悲しいというより誇らしかった」と振り返る。遺骨と一緒に返ってきた軍服には弾痕があり、血が付いていたという。

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 親松さんの墓を弟の高巳さん(92)に案内してもらった。斜面の梨畑を横目に車1台通るのがやっとの細道を上がる。集落を見下ろす丘に、こけむした墓石があった。功績が刻まれた墓石の側面に目をやると、そこに追い掛けていた名があった。

 「陸軍中将長瀬武平閣下之書」

 刻銘の日付は長瀬が留守師団長だった39年。周辺の墓地も調べたが、ほかには見つからなかった。高巳さんは「戦争が長期化して戦死者が相次ぐと、兄のように特別に墓が建てられることはなくなった。遺骨も村に返ってこなくなった」と教えてくれた。

 日田市史に当時の近隣の様子がうかがえる記述がある。毎年1桁だった軍の入営者は日中戦争前後から11~18人に増加。<世帯数割で類推すると日田郡全体で約1540名。入営者急増という事実だけからでも、タダならぬ気配が充満したと思われる>

 大分県遺族会連合会が76年に刊行した「殉国乃遺影」によると、長瀬が留守師団長を辞めるまでの同市の戦死者数は24人。把握できていない戦死者もおり、実際にはもっと多かったとみられる。

 日本側が早期収拾を目指した日中戦争は宣戦布告のないまま全面戦争へと発展、泥沼化した。時局悪化で特定の戦死者を弔う余裕がなくなり、大勢に向けて「殉国之英霊」の位牌が作られたのか-。集落の高齢者に聞いて回ると、同じ位牌を「見たことがある」という声がわずかにあった。

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 陸軍の親睦団体の名簿などを基に、長瀬の家族を捜した。長瀬は戦後、金沢市で暮らし、58年に亡くなっていた。戦争で一人息子を失い、自宅はおいが相続。その息子に当たる富山県の高齢男性にたどり着いた。男性は位牌のことは分からないとした上でこう話した。「支那事変(日中戦争)や久留米の師団にいるときの話をよくしてくれた。部下を多く亡くしたとも言っていた」。戦死した部下を気遣う長瀬の言葉は、富山県の地元の雑誌にも残されていた。

 位牌が見つかった日田市の井上利男さん(68)宅。祖父や父はすでに他界し、高齢の母も昔のことは話せない。身内に戦死者がいないこの家に位牌があった理由までは分からなかった。ただ、山あいの集落から戦争に駆り出され、命を落とした人たちがいたことは確かだ。妻明美さん(64)は「長瀬さんが戦後まで生きていたことを知れてよかった。これからは戦死した郷里の人たちのご冥福も祈っていきたい」と話した。 (久知邦)

西日本新聞社

最終更新:3/28(土) 10:52
西日本新聞

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