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司会者「有吉弘行」が求められる理由 戦後から続く毒舌の系譜 トニー谷・大橋巨泉にはない「視聴者目線」

5/14(木) 7:00配信

withnews

テレビ番組の司会者は、ある意味で時代の顔と言える。より多くの視聴者の心をつかみ、ガス抜きの役割を担い、程よい笑いを交えながら進行する業は並大抵ではない。とくにコンプライアンスの厳しい時代になってからは、司会を担える人間はごく限られている。そのなか、活躍しているのが“毒舌”でブレークした有吉弘行(45)だ。現在、地上波だけでも9本の番組で司会を務め、長く君臨し続けている。なぜ彼はそこまで求められるのか。過去の名司会者の系譜をたどりながら、その違いと共通点に迫る。(ライター・鈴木旭)

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衝撃的なデビューを飾ったトニー谷

司会者でありながら、お茶の間に爆笑を呼び起こした第一人者と言えばトニー谷だ。もともと劇場で演出助手をしていたが、進駐軍相手の慰問芸能団編成にかかわって芸能人とのコネをつくり、その後は司会者に転身。1949年に日米野球の司会の代役として出演し、英語と日本語の入り交じったしゃべり(トニングリッシュ)で衝撃的な芸人デビューを果たした。

「レイディースエンジェントルメン、アンドおとっつぁんおっかさん」といったフレーズ、「さいざんす」「おこんばんは」などマダムとの会話からヒントを得たしゃべり、「家庭の事情」といった流行語を生み出して人気が爆発。ジャズコンサートの司会者として引っ張りだこの状態に。赤塚不二夫のギャグ漫画『おそ松くん』で、トニー谷をモチーフとした「イヤミ」というキャラクターが登場するなど、当時の影響力はすさまじいものがあった。

そろばんをかき鳴らしながら歌って踊る珍芸で有名だが、さらに支持を集めたのは共演者や視聴者をこき下ろす「毒舌」だった。芸人仲間の痛いところをついて怒らせ、女優へのセクハラやパワハラ、世間を小バカにする態度をとるのが常だった。

誘拐事件経て、漫才ブームで再評価

行き過ぎた毒舌キャラによって、人気は徐々に下降線をたどっていく。そんな矢先、1955年7月にトニー谷の息子(長男)が誘拐される事件が起こった。

息子は無事救出されたが、犯人が犯行動機として「トニー谷の人を小バカにした芸風に腹が立った」と語ったこと、事件を大々的に報道したテレビによって、内密にしていた出自・前歴などが露呈されてしまったことで、事実上の休業状態に陥る。

その後、1962年から活動を再開するも、1970年代に入って人気は低迷。1980年代の漫才ブームで改めて毒舌にスポットが当たり、トニー谷は再評価されることになった。

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最終更新:5/14(木) 7:00
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