たまに新聞を読んでいると、思いがけず、はっとする言葉に出会うことがある。例えばこんな風に。
「強いもの、感じるものがなければ、人は考えなくなる」(読売新聞2020年1月23日)
方々で語っている僕のヒーロー、コム・デ・ギャルソンを率いるデザイナー川久保玲の言葉である。川久保は今、店頭に並んでいる2020年春夏コレクションで、社会に「強いもの」を解き放っていた。テーマはヴァージニア・ウルフの名作「オーランドー」である。ここには伏線があった。(石戸諭)
川久保は、昨年12月にウィーン国立歌劇場が150周年を記念して作った新作オペラ「オーランドー」の衣装を担当している。名門歌劇場が初めて(というのも驚くべき話なのだが……)女性作曲家を起用し、演出も女性、脚本も女性、原作小説も女性で、衣装を担当する川久保もまた女性だ。
そして主人公のオーランドーは16世紀のイギリスに生きる青年貴族の男性が、どういうわけか目覚めると女性になっており、時空を超えて女性に生まれ変わった歓びを謳歌する。
2019年に発表されたコム・デ・ギャルソンの2020春夏メンズコレクションは、女性服のディティールがふんだんに盛り込まれた独創的な服が並んだ。フリル、スカート、色使い、男性サイズのジャケットと女性サイズのジャケットのドッキング……。50年を超えたコム・デ・ギャルソンの歴史にあって、また一つ「新しく、強いもの」が加わったことを実感させる出来栄えだった。
「分断」が声高に叫ばれるい時代にあって、川久保は異なるものを一着の中で組み合わせ、「異」から未知のエネルギーを生み出している。そんな彼女の服は、僕の思考を刺激し、さらなる「異」への興味へと突き動かす。
最近、故あって読み返している作品がある。稀代のコラムニスト、ボブ・グリーンの『アメリカン・ビート』(河出文庫)。グリーンはおよそ取材を受けそうにない著名人も、全く無名の市井に生きる「普通の人々の普通の暮らし」もフラットに描く。その技は名人芸にして極上というほかない。
失脚直後の元米大統領リチャード・ニクソンに自ら手紙を書いて会いに行くことも、どこにでもいそうな野球少年のエピソードも、彼はどれもおもしろく書く。当時、38歳である。これだけのクオリティでコラムを書きながら、ABCテレビのレポーターも同時にこなしていたという。
テレビのレポーターをこなしながらもなお、芸が荒れなかったのはなぜか。僕は、彼自身が取材をして、書くことで生まれるダイナミズムに魅了されていたからだと考えている。本質的に人間に対する興味があり、彼らの話を聴き、時として相手に自らを語り、さらに話を引きだし、それ自体をおもしろがり、最後に書く。
話を聴いて、書くことは簡単な作業ではない。おもしろい話が聴けたからといって、おもしろい話が書けるとは限らない。聴くと書くの間には、大きな壁があり、書き手がその壁を認識して、乗り越えようとする時に一つのダイナミズムが生まれる。
この中には、わかりやすい「特ダネ」の種がいくつもあるのに、グリーンは無機質なストレートニュースや単純な一問一答のインタビュー記事で終わらせることを良しとしない。むしろ、その手の記事に興味がないのだろう。
彼はコラムという「スタイル」に様式美を見出している。コラム集のラストで、グリーンは自分の仕事が好きだと綴る。
《この仕事は本質的には孤独な仕事に属す。マスコミの世界は今世紀になって急速に近代化された。にもかかわらず、多くの重要な点では、ニュースを報道するのに人と鉛筆と列車の切符しか必要としなかったころとちっとも変わっていない。これは素晴らしいことだ。ロマンチシズムもまさにそこにこそある。また現実には、それがこの仕事の大きな強みでもある。》
おもしろい話を知りたいと思う好奇心と、誰も知らないであろう話をたった一人で書く歓び。鉛筆と紙の時代からノートパソコンの時代まで、それは変わらずに存在し続けている。
最終更新:3/30(月) 19:12
DANRO































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