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佐藤浩市 最新主演映画『Fukushima 50』で「何かを訴えたいわけじゃない」 妻への感謝も明かす

3/31(火) 12:10配信

FASHION BOX

1980年にNHKのテレビドラマで俳優デビュー。以後、数々の作品との出会いを経て、近年は映画を主に第一線で活躍するベテラン俳優の佐藤浩市さん。今年、還暦という節目を迎える氏に、人生の岐路についてお話をうかがった。

映画業界への憧れは昔から強かったと思います

「『ターニングポイントは?』と、改めて聞かれて思い浮かぶことはいくつかありますね。今にして思えば、僕が何とか60歳近くまで俳優として40年ぐらいのキャリアを積んでこられたのも節目節目で自分に一番足りないものを補ってくれる人や作品と出会えたからなんです」(佐藤浩市)

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――主役もやれば、脇を固める役もやり、「佐藤浩市が出ている作品は間違いない」と言わしめる俳優となった佐藤さん。では、目の前の彼はといえば、腕を組み、ちょっと体を右に傾けながら少しけだるそうにこちらを見る様は一瞬、とっつきにくそうだ。が、いざ話し始めると、どんな質問にも淡々と答える寛容さを備え、時に忍耐を持って応じているのが伝わってくる。とりわけ映画という仕事への愛情と情熱の強さは人一倍である。そんな佐藤さんの人生には、いわゆる役者バカであり、怪優とも称された父・三國連太郎が深く関わっていることも言葉の端々に感じられた。

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「よく親父の職業に反発するということも聞きますが、僕は比較的そうじゃなかったかな。というか、反発するも何も親父が家にいなかったからね。それでも僕の場合は何らかの形で映画に携わりたいという思いがあったので高校を卒業すると同時に映像学科のある専門学校へ入ったんですよ。でも、表方になりたいという思いがまったくなかったかというと嘘だと思うんです。役者への思いがあったからこそ逆に裏方の勉強をするほうを選んだのかもしれません。

俳優になるきっかけは、三國のマネージメントをしている方から『実はNHKで若い役者さんを探していてね。ちょっと撮ってみないか』と言われたんです。ちょうど毎日学校で16mmの屑フィルムの編集をやっていて『ツマンねえなあ』って思っていたところだったんで、夏休みに入ったときにプロデューサーとディレクターの方にお会いしたんです。もちろん演技経験なんてまったくないです。むしろ演劇科の連中がタイツ着て踊っているのを横目で見ては、自分には無理だなと思ってたぐらいで。ただ、当時が今の時代と何が違うかというと、新人を1人出すときに、それは映画であろうが、テレビであろうが、その新人に対して使う側がある種の責任を感じてらっしゃったんですよね。そういう意味で言うと、今より余裕がありましたから、僕も撮影に入る1カ月前ぐらいからNHKに呼ばれて毎日学校帰りに稽古ですよ。プロデューサーやディレクターが付きっきりで手取り足取り教えてくれたわけです。

僕のデビュー作になったのは、若山富三郎さん主演でシリーズ化された『続・続 事件 月の景色』です。
デビュー作にしては結構シンドい役柄でしたね。でも、あの役だったことは僕にとっては幸運だったかもしれないな。もっとラクな、いわゆる身の丈に合う役柄をやっていたら『あ、ラクだな』と思ってのぼせてしまった僕がいたかもしれません」(佐藤浩市)

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最終更新:3/31(火) 12:10
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