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故中村哲医師「たとえ皆殺しになっても人を殺してはいけない」ライフル襲撃された夜

4/1(水) 11:00配信

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1978年、アフガニスタンとパキスタンをへだてるヒンズークシュ山脈の最高峰ティリチ・ミール(標高7708メートル)への遠征隊に参加した青年医師は、その縁に導かれ、現地と日本を幾度も往復し、1984年にペシャワールへ医師として着任する。以来、十八年間にわたって内戦、伝染病、貧困、飢餓、あらゆる危機に直面するこの国にあっていのちの闘いをつづけてきた。そして、2000年の未曾有の大干ばつ発生に、医師団は一年で一千本の井戸を掘り、いままた空爆後の難民たちへの食糧援助に奔走している。

パキスタン・北西辺境州のペシャワール。ここに基地病院を作り、パキスタン側に2つ、アフガニスタン側に8つの診療所を設け、現地の医療スタッフ250人と、井戸を掘るという水源確保事業におよそ700人のスタッフがいる。合わせて、およそ1000人に上る現地人スタッフを、たった6人の日本人スタッフで指導する毎日。

それが中村哲医師のアフガニスタンでの日常だった。歴史も文化も違う1000名ものスタッフを指導する。この一事をとっても、中村医師の苦労の程がうかがえる。

そんな活動を支援するのが、中村医師の地元である福岡の「ペシャワール会」だ。

年間1億円を必要とするアフガニスタンでの活動を、このペシャワール会7000人の会員による募金が支えている。様々に問題視されている、海外への資金援助だが、他の団体が集まった資金の20~30%ほどしか現地に送らないのに対して、同会はおよそ98%をアフガニスタンに送っている。その差は、呆れるほどに歴然だ。それとて、活動を支援したいと集まった「ペシャワール会」だからこそできることなのだろう。そんな部分にも、中村医師の活動が、いかに人々に感動を与えていたかがうかがえる。

中村医師が赴任したペシャワール。そこはかつてアレキサンダー大王やチンギス・ハーンが往来した、歴史の十字路とも言えるカイバル峠の麓。ガンダーラ地方と呼ばれる、仏教文化の栄えたところでもある。

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最終更新:4/1(水) 11:00
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