【怪物経営者 成熟と老害のはざま】
藤本秀朗・ユニデンホールディングス会長(84歳)
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藤本秀朗・ユニデンホールディングス(HD)会長は1935年6月14日生まれの84歳。
66年に会社を設立以来、54年間、超ワンマンとして君臨してきた。その事業家人生は浮き沈みの激しいものだ。
今、上場廃止の危機に立たされている。米国の連結子会社で不適切な会計処理が行われた疑いが浮上。追加の調査を実施する必要があるとして2019年4~12月期の有価証券報告書の提出を4月16日まで延期した。当初、2月14日に予定していたが、3月16日に延期。さらに再延期した。これ以上延期すると、上場廃止の要件となる。
提出の再延期を受け、3月17日、ユニデンHD株は昨年来安値の1420円に下落。昨年来高値2578円(19年4月17日)比で45%安だ。
19年3月期の有価証券報告書によると、売上高全体に占める米子会社の比率は3割程度。業績への影響は小さくないとして売られた。
しかも、社長不在という異常な事態が続いている。19年6月27日の株主総会で、ソニー出身でアマゾンジャパンの事業本部長を務めた木場和人が社長に就いたが、3カ月後の9月20日に辞任した。「健康上の理由」という素っ気ないものだった。
だが、これを驚く向きは少ない。日替わりメニューさながらに、藤本が社長の首をすげ替えてきたからだ。12年6月、日本アイ・ビー・エム出身の森英悟が社長になったが、半年後の同年12月、森は退任。藤本が社長を兼務した。
16年、藤本は会長に専念し、石井邦尚が社長の椅子に座ったが、彼も2年で辞めた。後任の早崎英二は1年で社長の座を投げ出し、早崎の後を継いだ木場はわずか半年でユニデンを去った。
藤本秀朗は10代の頃から商社マンとして米国で活躍することを夢見ていたという。1960年、日本大学を卒業し、中堅輸出商社のツルミ貿易に就職。入社2年目で米国駐在となった。
藤本が電機業界に足を踏み入れたのは、米国でトランシーバー製造会社の経営再建に関わったことからだ。66年、藤本はツルミ貿易から、このトランシーバーメーカーの株式を買い取ってユニ電子産業(現・ユニデンHD)を設立した。
日本で生産したトランシーバーを米国にOEM(相手先ブランドによる生産)で輸出。76年には売上高が400億円を突破するまで急成長した。ところが、トランシーバーブームが去り、大量の在庫を抱え、倒産の危機に陥った。
80年代からは、生産品目をコードレス電話、衛星放送受信機に変え、世界で一番安く製造できる新興国で生産した。コードレス電話で業績は持ち直し、90年、東証1部に指定替えとなり、目標だった1部市場に昇格した。株式公開は86年9月、店頭株登録をしたのが始まりで88年、東証2部に上場を果たした。
ここでも、携帯電話、スマートフォン(スマホ)の普及で、ユニデンの牙城だったコードレス電話市場そのものが消滅。99年、103億円の最終赤字に転落した。
経営の縮小均衡を図り、モーレツなリストラを断行したことから、2005年、中国工場で1万7000人の従業員によるストライキが発生。07年、中国での現地生産を中止した。
10年3月期末に1万134人いた連結従業員数は、19年3月期末で789人。9割以上の社員がユニデンを見限ったことになる。
1998年3月期に1144億円あった連結売上高が2019年3月期に212億円に激減した。81%減である。
現在は北米やオーストラリアでレーダー探知機やドライブレコーダーを販売しているが、不動産事業に軸足を移した。都心のオフィスビルや賃貸マンションの売買で利益を捻出するという苦肉の策だ。コードレス電話で快進撃を続けていた頃の面影は、もはやない。
生産品目はトランシーバーやコードレス電話など、はやりすたりが激しい短命なものばかりだったため、安定して収益を上げることができなかった。成熟度はマイナスにしたいほどだが、ゼロとする。
「血族は絶対に入れない」と語っていたが、ナンバー2の西川健之代表取締役専務は義弟、監査役の藤本節雄は実弟。同族支配を強めている。
社長を取っ換え引っ換えし、後継者を育ててこなかったことから、老害度はマイナス5点とした。 =敬称略
■成熟度 0
■老害度 -5
※筆者が成熟度を+1~+5、老害度を-1~-5で評定
(有森隆/ジャーナリスト)
最終更新:4/2(木) 9:26
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