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追悼 飛鳥新社社長・土井尚道さん ライバルも賛辞贈る「稀有な編集者」

4/3(金) 16:58配信

産経新聞

 「無数の失敗を一つの大勝で帳尻を合わせながら、気が付けば40年が過ぎていた。私の人生を総括すればそんな感じでしょうか」。3月20日に75歳で死去した飛鳥新社社長の土井尚道さん。昭和54年の創業以来、「磯野家の謎」など多くのベストセラーを生み出し、出版業界に大きなインパクトを残した。「業界でも稀有(けう)な男」「極めてユニークな編集者」。名うての同業編集者たちをして、こう言わしめる生涯だった。

 ■経営能力も兼ね備え

 冒頭の言葉は昨年7月、関係者に送付した創立40周年記念のあいさつ状で、土井さんが自身の波乱の生涯を振り返ったものだ。「土井ちゃんらしい言葉だ」。友人たちはこう口にする。

 「(訃報を聞いて)号泣したよ。気前と人の面倒見がよく、繊細で品がありつつ大物感もあり、強運の男だった。僕はこれまで多くの優秀な編集者に会ってきたが、彼は特別だった」

 盟友だった「週刊プレイボーイ」元編集長の島地勝彦さんは“ライバル編集者”への賛辞を惜しまない。

 土井さんは30代半ばで小学館から独立し、飛鳥新社を創立。「サザエさん」一家にまつわる謎を解説した「磯野家の謎」(平成4年)は200万部超の大ヒットとなり、業界に衝撃を与えた。

 「編集能力と経営能力をあわせ持つ人は少ない。彼は両方を兼ね備えた稀有な男だった」(島地さん)

 その一方で、大きな挫折も味わった。5年に創刊した夕刊紙「日刊アスカ」はわずか半年で休刊。もともとジャーナリズムに興味があり、「ニュースの多くを漫画で表現する」という挑戦的な構成にしたが、部数が伸びず、たちまち経営危機に陥った。

 ■教養・判断力・義侠心

 それでも、ドラマ化した小説「夢をかなえるゾウ」(19年)などのヒット作を相次いで出版。詩人の柴田トヨさんが98歳の時に刊行した「くじけないで」(22年)も、詩集としては異例の約170万部を記録した。

 同じく交流のあった「文芸春秋」元編集長の堤堯さんは「出版はもうけを出さなくてはならず、いってみればばくち。そういう意味で、彼はばくちがすごく強かった。部下の才能とアイデアを見抜いて実行させ、ときどき特大のヒットを飛ばすんだ」と振り返る。

 土井さんは生前、「(小学館で)小学生向けの学年誌を経験したことが自分の血肉となった」と語っていたという。「出版人はともすれば目線が高くなり、説教じみたことを言いがちだが、彼はいい意味で目線が低いというか、庶民の視点からものを見ていた。それが成功した要因だと思う」(堤さん)

 ■美食、ワイン通

 大の美食家でワイン通。人脈も幅広く、業界を問わず交歓の輪を広げた。脚本家の大石静さんは約30年のつきあい。「服装や食事、ワインなど人生を華やかにする多くのことを教わりました。失敗もありましたが、思い切りのいい、挑戦的な人生だったと思います。格好良い、すてきな先輩でした」と語った。

 創立40周年記念のあいさつ状の中で戦後日本を「GHQが企図した、へたれ国家」と叱咤したように、近年も「愛国」を意識した書籍をはじめ、文芸、健康、童話、フランス語圏の漫画「バンド・デシネ」…とジャンルにとらわれない出版活動を展開。28年には「週刊文春」元編集長の花田紀凱(かずよし)さんを招き、オピニオン誌「月刊Hanada」を創刊した。「父親が宮内庁の役人で、赤坂御所で育ったとも聞いた。教養と判断力、義侠心(ぎきょうしん)のある男なんだよ」(島地さん)

 土井さんは毎年春、島地さんや堤さんら気の置けない仲間を自宅を招き、窓から見える一面の桜を眺めるのが楽しみだったという。

 「会社は順風満帆で、仕事も遊びもやりたいことがもっとあったはず。無念だったと思うし、僕も本当に悲しい。土井ちゃんと桜、見たかったなぁ…」

 島地さんは出版業界をともに駆け抜けた“戦友”の胸中をこう代弁した。

(文化部 本間英士)

     ◇

 どい・なおみち 昭和19年、東京都生まれ。中央大卒。44年、小学館に入社し、学年誌などを担当。54年、独立し飛鳥新社を創立。多くのベストセラーを出版した。3月20日、75歳で死去。

最終更新:4/3(金) 16:58
産経新聞

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