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福間洸太朗「遠い世界だと思っていた“ピアニスト”という夢を追いかけて」

4/3(金) 7:00配信

婦人公論.jp

ドイツ・ベルリンを拠点に、世界各地で演奏活動を行う人気ピアニスト・福間洸太朗さん。華やかな活躍の裏には、スランプに悩んだ時期もあったといいます。壁を乗り越えるきっかけとなった出来事とは──(撮影=小林ばく 取材・文=婦人公論編集部)

【写真】音楽の世界は1位になることがすべてではない

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◆5歳の誕生日に「今日からやっていいの?」

「ピアノを習いたい」と母にねだったのは、3歳のときです。姉2人が家でピアノを習っていたのが羨ましくて。でも母は、「5歳まで待ちなさい」と却下。男の子だし、長続きしないと思ったそうです。だから私が5歳の誕生日に「今日からやっていいの?」と言ったら、とても驚いていましたね。(笑)

“ピアニスト”という夢が明確になったのは、中学3年生で出場したアメリカの国際コンクールで6位に入賞したときです。審査員の一人が私のもとに来て、「その音楽性を大切にして頑張ったら、きっと素晴らしいピアニストになれる」と言ってくださって。信じられないくらい嬉しかった。

それまでは、家族に音楽家がいないこともあって、遠い世界だと感じていたんです。夢を叶えられなかったときの進路についても考えていました。でもその言葉を聞いて、どんなに大変な道でもピアニストになろうと思えた。だからこそ、20歳のときアメリカのクリーヴランド国際ピアノコンクールで優勝することができたのです。

でも、2~3年も経つと演奏会に呼ばれる機会は減っていきました。次の優勝者が出れば、そちらに声がかかりますから。あのころは5年後、10年後がまったく見えないスランプの日々でしたね。

◆音楽の世界は1位になることがすべてではない

そんなときに出場したのが、スペインのサンタンデール国際ピアノコンクール。心の底から勝ちたかったし、優勝を確信してもいた。でも、結果は3位。悔しくて、これからどう道を切り拓けばいいのかと落ち込みました。

しかし幸運なことに、コンクールを通して知り合った方のおかげで南米ツアーが実現。さらにその後、スペインやドイツ、ドミニカ共和国などの演奏会に何度も呼んでいただいたのです。「コンクールで聴いた演奏が良かったから」と。すごく励まされましたね。

音楽の世界は1位になることがすべてではない。聴いてくれる人に感謝し、そのつながりを大切にしなければいけないのだと気づかされました。そこから一つひとつの出会いが少しずつ広がったおかげで、今もヨーロッパで演奏活動ができているのだと思います。

フィギュアスケーターの方々と共演することができたのも、そう。もともとファンだったステファン・ランビエルさんを成田空港でお見かけしたときに、勇気を出して声をかけなかったら。演奏会に招待しなかったら――、私が羽生結弦選手や他の素晴らしいスケーターと共演する機会も訪れなかったのかもしれません。

音楽家は音をどう生み出すか考え、スケーターは音をどう捉えて体で表現するか考えます。対照的だからこそ意見が合わないこともある。でも、あまり意識していなかった“音の間”に対するこだわりを見て、自分からも探るようになったりと、共演することで私の抽斗も増えていきました。

6月には、日本で活躍するピアニストの方々と「ららら♪クラシックコンサート」で共演します。しかも今回は数限られる連弾特集ということで、今から楽しみです。ラインナップもバラエティ豊か。バッハからカプースチンまで、それぞれ音楽のスタイルが違って面白い。新しい音との出会いをきっかけに、みなさんの音楽世界が広がれば私も嬉しいです。

(撮影=小林ばく)

福間洸太朗

最終更新:4/3(金) 7:00
婦人公論.jp

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