FIAが定めたグループBのホモロゲーションでは、市販車を200台用意することが必須だった。フォードは他社同様、クリエイティブにこの課題を達成した。
自動車メーカーは、モータースポーツに参戦するために、FIAがカテゴリーごとに定めた台数の生産を義務付けられてきた。これが"ホモロゲーション"についての簡易な説明なのだが、長年、厳格に守られてきたとはいえなかった。例をあげれば、ボクスホールは400台生産と謳いながらシェベットHSは2台、ランチアは500台と謳いながらストラトスを190台、オースチン・ヒーレー3000に至っては1台たりとも販売することなくアルミシリンダーヘッドを導入、フェラーリは100台の250GTOを造るべきところを39台、BMCはミニクーパー970を1000 台と謳いながら2台と枚挙に暇がない。
1980年代に入ってFIAはホモロゲーションの厳格化を図り、定められた生産台数の車両を並べ、文字通りカウントすることになった。そして、1982年にFIA はグループBのホモロゲーションを200台の生産と義務付けた。ランチア・ラリー037 、ランチア・デルタS4 、プジョー205T16 、アウディ・クワトロ(ショートホイールベース)、オースチン・ローバー・メトロ6R4など、200台生産を遵守した。
1985年、フォードは素早いホモロゲーションを目指し、200台のRS200の生産を開始した。しかし、スペシャルモデル200台の生産は容易いものではなかった。1986年1月末、ようやく200台の完成を成し遂げた際の集合写真が広く知られている。ただ、期日間近の車は本当に完成していたのか、怪しいものであった。実際、写真を見ても、ドアの建付けの悪さが目立つ車が散見される。また、FIAによる視察の後、少なくとも46台が分解されてスペアパーツとしてストックされたといわれている。
とはいえ、フォードは高潔にもFIAのルールに従った。プロトタイプ6台に加え、市販車194台をどういうかたちであれ、FIAのルールを満たすよう完成させたのである。ボブ・ホーはボアハムで唯一のRS200担当セールスマンとして、1989年まで販売した。その後はレプリカ業者により、たくさんのRS200が世に送り出されることになった。
Octane Japan 編集部
最終更新:4/3(金) 19:43
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