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【Wリーグ・マネージャーの履歴書#4】アイシン・エィ・ダブリュウィングスは、ベテラン&ルーキーのコンビ!

4/3(金) 12:21配信

バスケットボールキング

 コート上で戦う選手たちを支え、スタッフのサポートや取材対応も行うWリーグのマネージャーたち。普段、表に出る機会は少ないが、チームの勝利のために日々奮闘している彼女たちに、マネージャーになるに至った経緯や心得などを聞く企画。
 
 第4回は、アイシン・エィ・ダブリュからベテランの荒川真寿美と新人の金場凛の2人。それぞれの立場でチームのために力を発揮する彼女たちに迫る。

荒川真寿美チーフマネージャー

ミニバスでは全国優勝2回とエリート街道を歩む

 荒川真寿美チーフマネージャーは、今シーズンで13年目のベテラン。そんな彼女が選手からマネージャーへと転向を決意したのは高校1年生の冬だった。

 だが、それまでの選手としてのキャリアはというと、Wリーグの選手を含めてもトップクラスといえる。

 姉の影響でバスケットを始めたのが小学校4年生。通っていた野並小学校の大河内清治先生が当時、名門・昭和ミニバスケットボールクラブのコーチの一人だったこともあり、この年に強豪チームに入団する。

 すでに全国優勝を幾度となく果たしていた昭和ミニの練習は、ハードであり、高レベル。「ハンドリング競争から始まって、それに勝ち残れないとAチームで練習ができなかったんです。だからひたすら自主練習をしました」という日々だった。

 だが、元来の負けず嫌い。激しい競争に勝ち抜くと、4年生にしてメンバー入りをする。結局、小学校4年、5年、6年と3年連続で全国大会に出場し、4年の時は3位、5、6年生では日本一に輝いた。

 なお、昭和ミニはトップ指導者である服部幸男氏をメインに、高校や大学、Wリーグなどで活躍する選手を多く輩出。Wリーグの現役ではアイシン・エィ・ダブリュ(以下アイシンAW)の酒井彩等やトヨタ自動車アンテロープスの山本麻衣らがそうだ。

 ミニバスで好成績を残した後、荒川は地元名古屋の猪子石中学校へ進学。この頃、同校を指導をしていたのは中学界の名将・杉浦祐司氏で、ここでも1年生から全国の舞台を経験すると(ベスト8)、2年生の時にはスターターとして先輩の吉田千沙(元デンソーアイリス)らとともに全国準優勝に輝いた。ちなみに、この時の決勝の相手は福岡県の折尾中学校で、メンバーには大庭久美子(元デンソー)や後に高校で一緒になる木林稚栄(JX-ENEOSサンフラワーズ・アシスタントコーチ)らがいた。

 そして中学卒業後、高校界トップともいえる桜花学園高校へ。これには杉浦コーチの後押しがあったようで、荒川自身も高校での飛躍に胸を弾ませた。

 しかし、1年生の時に膝の大怪我を負うと、マネージャーが欠員していたこともあり、井上眞一コーチから転向を勧められる。

 エリート街道を歩んできた彼女にとって、簡単な決断ではなかったが、当時はチーム内でのガードのポジション争いが激しく、その中で「選手として戻っても試合に出られる感じはないかな」という思いもあった。加えて井上コーチの勧めということもあり、悩んだ末にマネージャーとして日本一を目指すという結論を出す。

 とはいえ、マネージャーの経験はなく、右も左も分からない状態。その時によく相談していたのが寮母の加藤真弓さん。桜花学園のOGで、高校、大学とマネージャーをしていた加藤さんには「助けてもらいました」という。

 この頃のチームは、同級生の髙田真希(デンソー)に2つ下の渡嘉敷来夢(JX-ENEOS)を始め、後にWリーガーとなる選手が多く在籍。「渡嘉敷は1年間、面倒見たと思いますよ(笑)」と当時のことを笑うが、高校3年生の時には、その個性豊かなメンバーたちをマネージャーとして支え、高校タイトルであるインターハイ、国体、ウインターカップの3冠獲得に貢献した。

選手のサポートを一番に考える

「高校での経験を生かしたかったことや先輩に同級生、後輩たちなどのプレーを間近で見たかった」という理由から、高校卒業後はアイシンAWのマネージャーに。

 入社1年目は社業に専念したが、この時、ホームゲームの受付や応援団への連絡など試合の運営に携わり、裏方の仕事を知ったことはいい経験だったと荒川は言う。

 そして2年目から本格的にマネージャーへ。最初のシーズンはアトランタとアテネ・オリンピックの2大会に出場した小磯典子(旧姓・濵口)が在籍しており、「ストイックな方でした」と刺激を受けた。そして韓国出身でかつてジャパンエナジー(現JX-ENEOS)を日本一に導いた金平鈺氏を始め、ここまで実に5人のヘッドコーチとともに戦い、「早かったし、濃かった」13年間を過ごした。

 そんな荒川は、マネージャーになった時から心に決めていたことがある。それは「選手に対してプレーのことは言わない。サポートに徹する」ということ。

 中学までのキャリアを考えれば、練習などでも気になることやプレーに関して言いたいこともあるだろう。だが、「アイシンAWに入ったらなおさらで、私は所詮、高校1年生まで。選手にはプライドがあります。だから気持ちのサポートに徹しようと思いました」と言う。

 チームは今シーズン、白星が増えず苦しんだ。だが、個人を見れば、日本代表に初選出された宮下希保や新人ながら3ポイントシュートのタイトルを獲得した梅木千夏らの活躍が光った年でもあった。彼女たちが伸び伸びとプレーできた裏には、陰日向となって支える荒川の存在があったからに違いない。

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最終更新:4/3(金) 17:45
バスケットボールキング

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