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【15台で始まったDBシリーズ】アストン マーティン2リッター・スポーツ 後編

4/5(日) 20:50配信

AUTOCAR JAPAN

父が購入したアストン マーティンDB1

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
 
ゴールディング博士の子どもが運転できる年齢になると、アストン マーティンDB1をドライブした。だが、単に古いクルマだとみなされ、家族で引き継ぎたいとは考えなかったようだ。

【写真】アストン マーティンDB1とDB MkIII (28枚)

しばらくしてゴールディング婦人は、新しいフェラーリを購入。遂にサウスワードの父へ電話がかかってきた。「彼女は5ポンド(700円)を申し出たそうです。ですが、そんなに安くは買えないと話し、70ポンド(1万円)を支払いました」

ようやく夢のクルマを手にした、サウスワードの父。オーナーとなった初日からドラマがあった。

博士の家から帰る途中、ガソリンスタンドに寄ると、1000ポンド(14万円)で売って欲しいと声をかけられた。だが、サウスワードの父は断った。ギルフォードの自宅へ向かう途中、国道A30号線ではトラックにぶつけられ、リアスパッツをなくした。

彼の両親たちは、大きな利益も出しえた取引を断ったことに対して、さほど感心も持たなかったらしい。唯一、現オーナーで息子のアランは、OPD 51のDB1が家族に加わったことに目を輝かせた。

一番古い思い出は、妹と一緒に小さなリアシートに座って、アストン マーティンのクラブイベントに向かったこと。父は10年間ほど、DB1を日常的に走らせた。防水性も信頼性も高くはなく、目的地へ無事に往復できたのは50%くらいの確率だった。

1980年代のある日、丘を下っている途中、フロントタイヤの向きがおかしくなった。本格的なレストアの必要な時期を、教えてくれていたのだろう。

アストン マーティンDB1は、自宅のガレージでボディーとシャシーが分離された。サウスワードも、ドライバーを持って手伝ったことをうっすら覚えているという。

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最終更新:4/11(土) 6:18
AUTOCAR JAPAN

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