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日系三世の映画監督「外出が不安」「恐怖心を禁じ得ない」アジア系アメリカ人、現地からの声

4/6(月) 12:10配信

BUSINESS INSIDER JAPAN

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、アメリカではアジア系住民に対する差別的言動・行動が深刻化している。ニュースサイトやソーシャルメディアでは、日本人を含むアジア系の人々が罵声を浴び、つばを吐きかけられ、暴行を受ける事件が相次いで報告されている。

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ロサンゼルス・タイムズの報道(4月1日)によると、アジア系アメリカ人の団体が日本語や中国語など多言語で開設したウェブサイトには、32の州で1000件を超える事案の通報があり、米連邦捜査局(FBI)も警戒を強めている。

また、全米で最も古い日系アメリカ人の人権団体JACL(日系アメリカ人市民同盟)は3月20日、「アジア人は疾患ではない(Asian People Are Not a Disease)」と題した声明を発表している。

こうした状況から想起されるのは、第二次世界大戦中の日系人に対する差別と、その克服の歴史だ。

筆者は2005年から3年間、在サンフランシスコ日本総領事館で、在米日系人コミュニティと日本との連携強化の仕事に携わった。

そこで出会った日系三世たちは、一世や二世の移民と受難の歴史に向き合い、それを次世代に伝承したいという強い情熱をもって活動に取り組んでいた。語り継ぐこと、声をあげることをひとたびやめてしまうと、過ちがまたくり返されることを、彼らはよく知っているからだ。

新型コロナ禍の混沌としたいまを生きる私たちは、負の歴史がふたたび身近でくり返されぬよう、日系アメリカ人の足跡に学び、何ができるかを真剣に考える必要がある。

分断のあとには悲劇が訪れる

明治期からハワイ、カリフォルニアなどアメリカ西海岸に移民した日本人(一世)は、各地に日本人町を形成し、根を下ろした。

アメリカ政府は1941年12月の太平洋戦争開戦前後、彼ら日系移民をまず急ごしらえで建てた仮施設に、続いて人里離れた常設の収容施設に送った。現地で生まれたアメリカ国籍の二世たちでさえ、大統領命令により「日系人の安全のため」として、憲法に定められた自由を奪われた。

強制収容された日系人たちは戦後解放されたが、日本をルーツに持つがゆえ差別されたこともあり、日本とのかかわりを久しく控え、この集団的トラウマを語れない年月が続いた。

しかし1960年代、故ダニエル・イノウエ上院議員をはじめとする日系人が政界に進出。1980年代には、カリフォルニアの若き日系三世の弁護士たちが立ち上がり、一世、二世の権利回復(リドレス)運動を展開した結果、1988年に「市民の自由法(Civil Liberties Act)」が成立。レーガン大統領の公式謝罪に至った。

1960年代の公民権運動、1970~80年代のリドレス運動と市民の自由法成立を経たあとも、1990年代には白人と非白人との対立による都市暴動が相次ぎ、今世紀に入ると「テロとの戦い」の名のもとにイスラム系住民に対する暴力と差別がくり返されてきた。

止まないレイシズムというアメリカの病理。それは、戦争、自然災害、疫病など、得体の知れない何かが突如自身の日常を脅かそうとする不安心理に敏感に作用して、激しくなる。

グローバル化で格差が増大し、世界が自国第一主義を掲げるなか、トランプ政権による中南米移民やイスラム諸国出身者の入国禁止などの政策はこの4年間、アメリカ社会の分断を深めた。

だからこそ、日系アメリカ人は分断のあとに必ず訪れる悲劇について語り続け、声を上げることに力を注いでいる。

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最終更新:4/6(月) 23:01
BUSINESS INSIDER JAPAN

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