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藤圭子「新宿の女」は薄幸のイメージ戦略がズバリ当たった

4/6(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

【あのヒット曲 意外な誕生秘話】

 藤圭子「新宿の女」

 ◇  ◇  ◇

 あれからもう7年が経とうとしている。新宿の高層マンションから飛び降りて自殺した藤圭子。62歳だった。

 なぜ飛び降り自殺だったのか? その心の闇は今も分からない。最後まで私生活も素顔もベールに包まれた稀有な歌手だったが、その謎めいたところがまた彼女らしい魅力でもあった。

 藤圭子のデビュー曲は「新宿の女」。17歳の美少女が、♪バカだな バカだな だまされちゃって……とドスの利いたハスキーボイスで歌う演歌は強烈なインパクトで、いきなり大ヒットした。

 作詞・作曲は石坂まさを。夜の街で流しをしていた藤圭子をデビューさせたのだが、石坂は彼女の背負った暗い影にほれ込んだようだ。

 その生い立ちは、岩手県一関市に生まれ、北海道旭川市で育ったが、幼い頃から、流しの浪曲師だった父母と一緒に旅回りをする貧しい生活だった。自然と本人も歌うようになり、15歳の時、北海道の素人歌謡祭で歌っていたのが作曲家の八洲秀章の目に留まり、上京。ビクターに所属した。しかし、なかなか芽が出ず、母親と一緒に浅草や錦糸町で流しを続けて一家の家計を支えていた。17歳になったとき、その原石を見いだしたのが石坂まさをだった。

■「存在そのものが演歌」

 目の不自由な母親の手を引きながら、その三味線に合わせ、通りすがりの人たちに訴えるように大きな目を見開いて歌っていたが、人形のような顔にそぐわない低いかすれた声に特徴があった。

 石坂は「これはいける」と思ったのだろう。後日、「この子は、存在そのものが演歌。生い立ちがそのまま歌になる」と発掘秘話を明かしている。彼女を自宅に引き取り、レッスンを重ね、そうして生まれたのが「新宿の女」であった。

 さらに、石坂は売り出す作戦を練った。アッと驚く仕掛けをして、いままでの歌手にない売り方をしようと。そのひとつが夜の歌舞伎町を徹夜で練り歩くキャンペーン。「演歌の星を背負った宿命の少女」というキャッチフレーズを宣伝させながら、新宿でご当地ソングとして火をつけようとした。もうひとつは、藤圭子のイメージづくりだ。絶対に笑わない、無口で凍ったような暗い表情を通すようにと厳命された藤圭子は、忠実にそれを守り通した。

 こうした作戦は見事に当たり、暗い過去を背負った薄幸の少女は、瞬く間に時代の寵児となり、「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」と立て続けにヒットを飛ばした。

 ♪十五、十六、十七と
  私の人生暗かった
  過去はどんなに暗くとも
  夢は夜ひらく

 この歌詞などは、まさにイメージを藤圭子の生い立ちに合わせたものだった。

 薄幸な生い立ちが、そのまま歌になり、イメージになり、大成功した藤圭子ではあるが、彼女は果たして、いつ幸せになれたのだろうか。

 前川清との電撃結婚と電撃離婚、そして再婚で宇多田ヒカルという最高の子宝にも恵まれたが、なぜか、その後の人生では、明るい話は伝わってこなかった。

 薄幸を、演じただけでなく、地で行ってしまった藤圭子。新宿で花開き、そして最後も新宿で散ってしまった。

(塩澤実信/ノンフィクション作家)

最終更新:4/6(月) 9:26
日刊ゲンダイDIGITAL

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