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マンガ『母の遺骨を食べたい』作者が語る思い 親を看取れた人だから分かる、人生で大切なこととは

4/6(月) 12:10配信

相続会議

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』の作者、宮川サトシさんインタビュー後編です。母、明子さんが亡くなった1年後、宮川さんは、母が内緒で遺してくれていたものの存在を知ります。

母から妻に引き継がれていたこと

――お母様が宮川さんに遺してくれたものとはいったい何だったのでしょうか?

僕は大学生のときに白血病になって、骨髄移植の手術を受けたんです。移植前に行う抗がん剤や放射線照射によって精子をつくれなくなるんですね。そのとき、母が冷結精子保存を提案してきました。当時の僕は子どもなんて嫌いだし、どうでもいいと思っていたのですが、「これだけはやっとかなあかん!」と、いつも笑ってた母が激しく僕を叱りました。

くだんの電話は、冷結精子を保存していた病院から更新の通知だったんです。それまでは母が保存料を振り込んでくれていましたが、連絡先が妻に代わり、その継続の意思確認の内容でした。そこで妻に聞いてみたら、母が亡くなる前に、僕に気を使わせたくないから、その時がくるまで内緒にしてほしいと、保存料の件と大量の体外受精の本やその関連記事の新聞のスクラップを託したのそうです。

娘に「ハナエ」へと名付ける

――お母さんからのかけがえのない贈りものですね。

あのとき激しく僕を叱ったのは、子どもを作れ!と怒鳴ったのではなくて、僕に子どもも作ることができる、という選択肢を残してくれたのだと思います。母は僕が女の子だったら「ハナエ」と名付けるつもりだったそうです。

いつか、僕に子供が生まれたらハナエという名前にしろとも言ってました。どうも、デザイナーの森英恵さんが大好きだったみたいです(笑)。冷結精子の電話を受けた後、僕はまだ見ぬ自分の子供に向けて、遺書ともとれる手紙を書きました。「ハナエへ」と。

心の中のすべてを吐き出すように書きました。生まれた子供は女の子だったので、娘にはハナエと名付けました。昔の僕はいつ死んでもいいや!と思っていましたが、今は妻と娘と一緒にいることがとても楽しい。生きているうちに表現したいことは全部したいと思えるようになりました。

――お母様の死後、ご家族の関係性の変化はありましたか?

うちの家族はそんなに仲がいいという感じではなかったんです。一緒にいても特に会話するということもなかった。でも、母という太陽がなくなって日照時間が減ったせいか、ガザガザとバランスが崩れました。

今思うと、みんな母に頼ってたんですね。よくけんかした兄弟だけど、それもなくなってちゃんと会話をするようになった。冷たい人間だと思っていた父がウエットになった。ぼんくらだった僕も東京に出て漫画を描くようになった。家族が再編成されたように思います。

それは母が亡くなることが悲しいという気持ちを共有できたからだと思います。よく親の死後、相続で兄弟がもめたりしますけど、たとえば親が病気になったとき、「この人がいなくなれば悲しいよね」という気持ちを皆が共有できれば、お金のことなんかでもめないと思うんです。

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最終更新:4/6(月) 12:40
相続会議

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