【織田哲郎 あれからこれから Vol.62】
2000年夏、スペインで首絞め強盗に襲われたため、帰国後、病院に行くと「声帯の骨が曲がっている」と言われました。
大ざっぱに言うと、声帯はギターでいえば弦のようなひだが骨に張られていて、それを筋肉で張ったり緩めたりすることで声の高低をコントロールしています。そのひだが張られている骨が曲がっていると言われたのです。
つまり、高い声を出すためにひだを伸ばそうとしても、骨自体が曲がっているのでちゃんと伸びないわけです。
私はもともとボーカリストの中でも相当ハイトーンが出るタイプでした。上のドやレの音まで地声で出ていたのですが、そのオクターブ下のレ、せいぜいミの音までしか出なくなっていました。早い話、こんな音域では世の中の歌はほとんど歌えません。
しかも楽器の構造自体が変わってしまったようなものなので、高い音が出ないだけでなく、どう力を入れたらどの音が出るという、それまで無意識でやれていたことがうまくできなくなってしまったのです。
ほかの病院に行っても言われることは同じでした。変に思われるかもしれませんが、医者にそう言われたとき、私が感じたのは「ああ、そうきたか」という思いでした。
それまでの数年間、仕事として音楽は必死で作っていましたが、ひたすら酒に逃げるばかりで、人間としても音楽家としても、結局なげやりだったのです。「そりゃ音楽の神様も怒るよな」と、どこか納得がいきました。
そして同時に「俺は歌いたい」ということを痛切に感じました。それまでは人の作曲やプロデュースに追われ、自分が歌うということはいつも後回しにしてきました。「音楽の神様、すみませんでした。いまさら遅いかもしれませんが、俺はやっぱり歌が歌いたいんです!」と心の底から思ったのです。
それから模索の日々が始まりました。酒もたばこもやめ、仕事を整理しました。音楽家として続けるのかどうかすらも白紙の状態にして、とにかく酒浸りで濁った心身をまともに戻すことだけを考えました。毎日の日課としては瞑想(めいそう)、運動、そして、のどのリハビリ、これだけです。
リハビリは自分でメニューを決めて、ひたすら基本的な発声練習を繰り返しながら、今の声帯に慣れていくこと。そして今の声帯で少しずつ音域を広げていくこと。これだけの地味な作業を毎日何時間もするわけです。
当時の私のブログで『一歩進んで二歩下がる。人生はワンツーパンチなのだ』と書いていましたが、まさにそんな感じでした。
■織田哲郎(おだ・てつろう) シンガーソングライター、作曲家、プロデューサー。1958年3月11日生まれ。東京都出身。79年のデビュー当初からCMやアーティストの音楽制作に携わる。TUBEの『シーズン・イン・ザ・サン』で作曲家として注目される。現在「オダテツ3分トーキング」をYouTubeで配信中(毎週土曜日更新)。
5月2日(土)には横浜のモーション・ブルー・ヨコハマで「Acoustic Night」を開催する。詳しくは公式サイトt-oda.jpへ。
最終更新:4/7(火) 16:56
夕刊フジ






























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