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背景を知ればスニーカーがもっと楽しい!平成の始まりを彩った名作シューズたち

4/8(水) 10:00配信

FINEBOYS Online

思い返せば、平成の30年間でさまざまなスニーカーが世に登場してきた。時代によって流行り廃れ、そしてまた復刻したスニーカーをアナタはどこまで覚えているだろうか?

1989年、平成の幕開けはエア ジョーダンのブレークとともに

昭和が終わり、元号が平成となった1989年、日本のスニーカーシーンにも大きな変革期が訪れる。

‘70年代後期から’80年代前期はナイキやアディダス、ブルックスといったブランドのジョギングシューズと、コンバースのオールスターやトップサイダーのオリジナルといったキャンバス製バスケットボールシューズやデッキシューズ、’80年代中期以降はアディダス スタンスミスやトレトンのナイライト、ケー・スイスのクラシックといったレザー製テニスシューズがポピュラーだったのだが、1989年にエアジョーダンIVがリリースされると、この高機能バスケットボールシューズが日本のスニーカーシーンの主役に突如躍り出たのである。

エアジョーダンは1985年に第1作がリリースされた、シカゴ・ブルズに所属したマイケル・ジョーダンの名を冠したモデル。それまでも選手名を付けたスポーツシューズは存在していたが、シューズ、アパレル、マーケティングを戦略的に巧みに組み合わせたシグネチャーコレクションとしては、エアジョーダンがスポーツ業界初の存在であると言われている。

第三弾のエアジョーダン3までは、日本であまり注目されていなかったが、サイドのメッシュパネルが印象的な近未来デザインを採用した第四弾の登場により、日本のスニーカーフリークの琴線にも触れることとなる。バスケットボールシューズということであれば、RUN DMCの影響でアディダス スーパースターをひもなしで履くことが日本でも注目されたが、スーパースターの基本設計は‘60年代末期にまで遡ることができ、当時としてもレトロなデザインだったのに対し、エアジョーダン4のほうは、デザイン&テクノロジーの両面で、最先端を行っていた点が大きく異なる。

そして翌1990年にリリースされたエアジョーダン5は、その人気がさらにヒートアップ。このモデルも第四弾と同様に、ナイキが誇る天才デザイナーであるティンカー・ハットフィールドが手掛け、戦闘機のコクピットをモチーフにしたといわれるアッパーデザイン、クリアラバーのアウトソール、足の甲のカーブに沿う形状に成型されたレースストッパーを始めとした斬新なディテールを随所に取り入れ、前作以上に世界各地で激しい争奪戦が繰り広げられた。そして、国内正規分が、ほぼ即日完売すると、日本に並行輸入というかたちで持ち込まれた製品が、希望小売価格よりも、かなり高いプライスタグを付けて売られていたが、それらも早々に売り切れた。

それまで並行輸入と言うと、当初は正規代理店の兼松スポーツで取扱いのなかったアディダス カントリーやオフィシャルを小売店などが、独自ルートで海外からダイレクトで仕入れたり、スタンスミスやケー・スイスの例が顕著だったが、小回りの利く専門商社が、内外価格差に着目して、日本の輸入元の希望小売価格よりも安く売るための方策だったが、エアジョーダン以降、日本市場で在庫が枯渇している品番に関しては、プレミアプライスと称して、希望小売価格よりも高く売ることは珍しくなくなった。そういった意味でも、エアジョーダン4と5のヒットは、日本におけるスニーカー業界の大きな転換点となったのである。

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最終更新:4/8(水) 10:00
FINEBOYS Online

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