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90年代中盤のバッシュブームとハイテクブーム。平成の名スニーカーを振り返る!

4/8(水) 11:50配信

FINEBOYS Online

1993年、バッシュブームの裏でアウトドアテイストが注目される!

ドリームチームの活躍もあり、バスケットボールシューズ人気はワールドワイドへと拡大。エアジョーダンではアッパーにクロスストラップを配したエアジョーダン8がリリースされたが、前作のエアジョーダン7からテレビコマーシャルやプリント広告などでアメリカの著名なアニメーションのバッグスバニーと共演しており、そのグラフィックをプリントしたTシャツも販売。マイケル・ジョーダンとバッグスバニーというアメリカが生んだ人気者同士の組み合わせるというマーケティング戦略も、エアジョーダン人気をサポートすることとなった。

一方で全米ナンバー2のシェアを誇りながら、ドリームチームのプレーヤーの誰にもシューズを提供できなかったリーボックは、巻き返しのために期待のルーキーと契約する。それがルイジアナ州立大学出身のシャキール・オニール。その巨体からは想像できないクイックな動きを誇るセンタープレーヤーであり、パワフルなダンクシュートで、度々リングを破壊することでも知られていた。そんな彼のためにリーボックが用意したのがシャック1であり、安定性とサポート性、そしてザ・ポンプテクノロジーによる高いフィット感が特徴の1足であった。

このようにバスケットボールシューズ人気は、エアジョーダンを筆頭に、バルセロナ五輪が終わったあともキープしていたが、ジョーダンは1993年7月に父親を不幸なかたちで亡くすと、突如引退を発表。第9弾モデルのエアジョーダ9は、ジョーダンがNBAで着用しなかったこともあり、アメリカでも日本でもセールス的にはイマイチであった。

日本へは並行輸入で持ち込まれることに

そして、一部のスニーカーフリークたちは、次に注目すべき新たなカテゴリーを模索し始める。そのひとつがアウトドアテイストのフットウェアであり、ナイキのACG(All Conditions Gearの略で、あらゆる環境に対応するギアの意味)は、そのなかでももっとも有名な存在であった。

1989年にリリースされたエア ワイルドウッドをデビュー作にスタートした、このアウトドアカテゴリーからは、1991年にエアモワブ、1992年にエアリバデルチ、1994年にエアマーダといったヒット作がリリースされた。

そして、日本でもカルト的な人気を誇ったのが、“21世紀のモカシン”の触れ込みでデビューしたエアモックだった。1994年に登場した、このモデルは、山登りで疲れた足をリラックスさせ、疲労回復の促進を狙った1足。アフターキャンプをコンセプトに開発されたプロダクトであったが、一部のスニーカーフリークは、そのシンプルながらも存在感のあるフォルムに魅了され、ストリートで着用。シューレースがないというその形状や、ワンピースのヌバックをアッパーに使用しているというマテリアルチョイス、雰囲気から、日本の税関はエアモックをスポーツシューズと認めず、高い関税を支払わないと、日本に輸入することができなかったため、日本でのナイキジャパンでの取り扱いはなく、そのすべてを並行輸入やハンドキャリーに頼ることになる。日本では割高なプライスタグが付けられたエアモックだったが、まずファッション業界の人々の足元を飾り、それがストリートファッション誌などで紹介されると、ポストバスケットカテゴリーを探していた人々にも注目され、日本のスニーカーフリークにもしっかりと受け入れられたのである。

そして、ほぼ同時期に話題となったのが、リーボックのビートニク。こちらも純粋なスニーカーではなく、センターシームのクラシックなアッパーデザインとシャークソールを組み合わせたアウトドアテイストのサンダル。このモデルもエアモックと同様に、当時リーボックジャパンによる正規展開はなく、エアモック以上に少ない流通量だったが、スニーカーフリークに与えたインパクトは遜色なかった。スポーツシューズの生産はそのほとんどすべてがアジア地域となっていた時代に、このビートニクの生産はブラジル。しかもスポーツシューズではなく、カジュアルシューズの製造を得意とする工場での生産であり、一般的なスニーカーにはない重厚感やアジがあったことも、ファッション業界関係者やスニーカーマニアに受けた大きな理由だろう。ちなみにエアモックもビートニクものちに日本に正規輸入が開始されたが、関税対策でアッパーに人工皮革を使用したモデルも存在。これらはオリジナルが持つ独特なアウトドアテイストと重厚感が感じられないとして、不評だった。

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最終更新:4/8(水) 11:50
FINEBOYS Online

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