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《ブラジル》仕事と同胞ボランティアに全力=経営者目指し19歳で訪日、37歳で夢の電設会社を創業=友電設(ゆうでんせつ 本社・神奈川県横浜市)川崎俊広社長

4/8(水) 6:03配信

ニッケイ新聞

13年後のいま、社員100人超で全国規模の事業を展開=社員の80%は日系ブラジル人、電気工事士の資格取得で家庭と生活が安定

 電気工事士の国家資格取得で、デカセギ文化を変えていく新たなトレンドづくりへ――。1989年に19歳で訪日し、37歳で創業した。今年13年目を迎えた電気工事会社の株式会社友電設。ブラジルから裸一貫で出てきた青年が、いまや従業員100人を抱え、しかも全国規模で事業を展開する日本在住日系人のシンボル的な経営者になっている。同時に日本の経済界、産業界、国民生活にとって欠かせない電気工事分野の会社を育て上げた立志伝中の経営者になりつつある。日系人の雇用の安定化と次世代育成に積極的に取り組んでおり、日本在住の日系ブラジル人社会の中でも、そのボランティア活動とともに、従来型にはいなかった新しいタイプの日本人のリーダー像を築きつつある。

19歳で大志を抱いて両親の祖国日本に飛び立つ

 創業経営者である川崎のキーワードはこれだろう。「日本人に負けないブラジル日系人の意地と根性を見せたい」、「事業を通して日本に来た同胞の生活安定と向上のために尽くす」、「今後も同胞のためにボランティア活動を継続する」。
 日本に到来した多文化共生社会づくりの経営者リーダーの1人であることは間違いない。
 さらに川崎自身を支えてきたのは、「何事にも忍耐強く、最後まで諦めずにやり通すことを信念にいままで頑張ってきた。この成果があり現在に続いていると思う」と自分を貫いているサムライ経営者だ。訪日以来、経営も人生も「何事にも全力を尽くし努力をする」と実践自立の開拓者精神で人生を切り開いてきた。
 19歳の時に兄とともに、ブラジル最南端のリオ・グランデ・ド・スル州の州都ポルト・アレグレから、人生の成功者になることを心に秘めて日本に飛び立った川崎青年。
 その当時、年率1000%以上のハイパーインフレが続くブラジルから、日本へのデカセギブームが頂点に達した時期だった。
 日本はバブル経済の最盛期で人手不足が続き、職種は特に3K(きつい、きたない、危険)分野を中心に単純作業の肉体労働が多かった。川崎も建設労働者として働いた。しかも12年間もの間、転職せずに1つの会社で頑張った。
 この時期に仕事中の事故で片目まで失った。並の人間なら黙ってそのままブラジルに帰るか、放浪者になるところだが、川崎には明確な人生目標があった。それは日本で経営者になることを目標にしていたのである。事業主になれば生活がよくなり、不安定な生活をしている同胞を救済することができると考えていたのである。そのとった策が国家試験である電気工事士の資格取得だった。

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最終更新:4/8(水) 6:55
ニッケイ新聞

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