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ハイテクブーム再燃の2000年代!平成の名スニーカーを振り返る

4/8(水) 20:10配信

FINEBOYS Online

2000年代に突入し、第二次ハイテクブームが到来!

1999年まではローテクスニーカーが全盛で、ハイテクスニーカーの復活は難しいと思われていた。前回のハイテクスニーカーブームの際の不良在庫は膨大で、希望小売価格の半額で売られることもしばしば。さらに日本でも各地に建ち始めたファクトリーアウトレットでは、元値の数分の1の最終プライスが付けられることも珍しくなかった。そのような状況では、「ハイテクスニーカー=カッコいい」という図式は描きづらかったが、世の中で“ミレニアム”がキーワードとなった2000年を迎えると、それを合図に、日本のスニーカーシーンも大きな変化を迎えることになる。

ナイキから続々とリリースされたニュープロダクトが時代を変えたのである。ランニング後に足をリラックスさせる目的で開発されたアフタースポーツモデルで、S,M,L,XLのようなアパレルサイジングを採用したエア プレストや、ズームエアを採用することで足裏感覚と高い反発性を確保し、その機能性の高さを松井稼頭央(当時西武ライオンズ)のテレビコマーシャルで強調したエア ズーム ヘイブンといった魅力的なデザインのニューモデルがリリースされると、スニーカーシーンのトレンドは、再びハイテクの方向へ動き始めたのである。

これらニューモデルに加えて、前年に発表されたエア ズーム サイズミックや1996年にオリジナルが登場したエア リフトなども人気を集めたことで、2000年はスポーツシューズ業界関係者が第二次ハイテクスニーカーブームとネーミングした時代を迎え、日本のスニーカーマーケットは再び活況を呈することになる。そして2001年には藤原ヒロシ氏がディレクションしたモノトーンコレクションが登場し、スニーカーフリークから人気に。このコレクションはエア ズーム サイズミック、エア テラフマラ、エア マックス 120の3モデルをキャンバスに、その名の通りシンプルにホワイトとブラックのモノトーンカラーと融合。グリーンのアクセントも印象的だった。

こうした魅力的なプロダクトのリリースもあり、ハイテクスニーカーブームは翌2002年もしっかりとキープ。アディダスからはアウトソール側にも通気孔を設けることで、比類なき通気性を確保したクライマクールが登場。高温多湿の日本の夏でも快適な履き心地を提供してくれた。

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最終更新:4/8(水) 20:10
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