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「雑誌SK」アーカイブ│バンジャマン・メンディ 誰にも止められない

4/10(金) 16:38配信

SOCCER KING

[サッカーキング No.011(2020年3月号)掲載]
ヤワなタックルなんて意に介さず、ゴリゴリとピッチサイドを駆け上がる。
頭の固い常識人の苦言もどこ吹く風と、破天荒な“つぶやき”を発信し続ける。
アンストッパブル―。彼ほどこの言葉がふさしいフットボーラーはいない。

インタビュー・文=ジョー・ブリューウィン
翻訳=加藤富美
写真=ゲッティ イメージズ

 マンチェスター・シティのアカデミー練習場を訪れる。受付を済ませると、腰を下ろす間もなく取材相手がやって来た。

「君たちか!」。バンジャマン・メンディの登場だ。彼に“ウォームアップ”は必要ないようだ。我々のリクエストに応えてファインダーに向かって雄叫びを上げると、PCに映し出された写真を見てニヤリと笑う。彼はそのまま自身のフォト・セッションを仕切り始めた。“プレミアリーグ最優秀コメディアン”の取材は、どうやらうまくいきそうだ。

 もちろん、彼はただのコメディアンではない。マルセロ・ビエルサ、レオナルド・ジャルディム、そしてジョゼップ・グアルディオラ。現代フットボールの世界で最も評価される監督たちの指導を受けてきた。2013年から3シーズンにわたってマルセイユでプレーし、その後のモナコで才能に磨きをかけ、16-17シーズンにはパリ・サンジェルマンの一強体制に終止符を打つリーグ・アン制覇に貢献した。チャンピオンズリーグの4強進出にも大きな役割を果たした彼は、2017年にDFとしては史上最高額となる移籍金でマンチェスター・シティに加入した。忘れてはいけないことがもう一つある。2018年にはワールドカップを制した。

 伝えるべきことはまだまだある。彼はインタビューを通して、さまざまな物語を聞かせてくれた。

マフレズのことを管理人と勘違いしたんだ(笑)

 7歳のときの話だ。メンディは街灯をコーンに見立て、ジグザグにドリブルしながらボールを運んでいた。“自分の世界”に入り込んでいた彼が公道に差し掛かる頃、母親が叫んだ。「気をつけて!」。その声は届かず、メンディはボールを蹴りながら車道を横切る……ボールがあらぬ方向に飛び、彼は道路にたたきつけられた。車が徐行中だったことは幸いだった。「母親は真っ青な顔で『大丈夫!? だから言ったでしょ!』と叫んでいたよ」。彼は18年前の事故をそう振り返ると、微笑んだ。「練習に向かう途中だったんだ。休みたくなくて『大丈夫』と言ったけど、足と背中が痛かった。母親は病院に連れていくと言い張ったが、断固拒否した。だって、怖いだろ(笑)」

 パリ中心部から15キロ南にあるパレゾーという自治体で育った彼は、明けても暮れてもストリートでボールを蹴っていた。洗練された住宅が立ち並ぶ、趣のある地域だ。彼はその後、ル・アーヴルのアカデミーに通うことになった。ポール・ポグバ、スティーヴ・マンダンダ、ラサナ・ディアラ、ディミトリ・パイェ、そしてフェルランド・メンディを輩出した名門だ。当初はストライカーを目指していたが、13歳のときに「能力が足りない」という評価を受けた。ショックはあったが、そのことは彼自身も理解していた。

「ストライカーを目指していた頃は、下がって受けて前に運んで、ゴールを決めようとしていた。中盤が苦労していると感じたときには、常に下がってサポートした。するとある日、監督にこう言われたんだ。『左サイドの中盤をやってみろ』ってね。『イヤです! 退屈だから』と答えたけど、ひとまず従ってみることにした。すると、監督が『左のサイドバックもやってみろ』と言うんだ。冗談じゃないよ、と思ったけど、監督の目は正しかった。結局、そのポジションに定着したんだ」

 ル・アーヴルにいた頃、メンディはある選手と遭遇する。3歳年上の彼のキャリアは、メンディよりはるかに格下と言えるものだった。彼の名はリヤド・マフレズ。痩せっぽちでさえない風貌だった。

「初日から遅刻してきたんだ」。マフレズが栄光のスタートを切った日について、メンディはそう語った。「本当に痩せていた。選手の体には見えなかったから、管理人かな?って思ったくらいだ(笑)。監督は遅れてきた彼に、『ピッチを2周してこい』と言った。僕たちはストレッチをしていたんだけど、ものすごいスピードで走る彼を見て笑ったよ。でも、翌日のボールを使った練習で驚いた。とんでもないテクニックだったから」

 11-12シーズン、2人はトップチームに昇格する。リーグ・ドゥの試合で先に定位置を得たのは17歳のメンディだった。記念すべきデビュー戦を迎えた彼は、7歳のときと同じように“自分の世界”に入り込んでいた。「スパイクを忘れたんだ」。そう言ってメンディは爆笑した。「控えGKのブライス・サンバ(現ノッティンガム・フォレスト)に借りたよ。もし正GKがケガしていたら大変だったね(笑)」

 ル・アーヴルで結果を残した彼のもとには、多くのオファーが届いた。当時プレミアリーグに所属していたサンダーランドも彼の獲得を希望していたが、メンディが選んだのはマルセイユだった。

「マルセイユを選んだのは、スタッド・ヴェロドロームを訪れたときの感動が理由だ。スタジアム全体に活気が満ちていた。ここでプレーしたいと思ったんだ」

 マルセイユでの3年間は波乱万丈だった。監督は4度替わり、多くのスター選手が巣立ち、順位は6位、4位、13位と下降線をたどった。だが、チームの学習曲線は上向いた。14-15シーズンにチームを4位に導いた名将ビエルサのもとで。

「僕は若かった。そして、マルセイユが大好きだった。財政的に苦しい状況だったけど、リーグではいい位置につけていたし、会場はいつも満員だ。毎日、サポーターのために頑張ろうという気持ちになった。頻繁に監督が替わってうまくいかないときもあったけど、それも経験だ。ピッチで懸命にプレーすれば、サポートしてくれる。たとえスター選手であっても、戦わなければそれまでだ」

 メンディの才能はビエルサのもとで完全に花開いた。彼はその指導を「ユニークだった」と表現する。

「ビデオ! ミーティング!ってよく叫んでいたよ(笑)。フランス語を覚えることもなく、スペイン語で押し通していたね。試合だけに集中したかったんだと思う。最初の親善試合の前にコーチやスタッフが冗談を言って笑っていたら、監督が腹を立てて『来なくていい』って怒鳴ったんだ。結局、スタジアムに向かったのは、監督と選手とメディカルスタッフだけだった。みんな神妙な顔をしながら、心の中で『イカれてる』と思っていた。でもそれから大きな問題はなかった。素晴らしい人格者で、ファンタスティックな指導者だった。多くを学んだよ」

 メンディはさらに続ける。「ある日、ミーティングで居眠りをしてしまったんだ。飛び起きた僕に、監督はこう言った。『寝ても構わない。いつか話を聞きたくなるときまではね。聞こうとして聞けば、すべてを理解できるはずだ』。それからはよく話を聞いて、学んで、質問をした。その経験が僕の血となり肉となった」

 15-16シーズンの初戦でマルセイユはカーンに敗れ、ビエルサは電撃的に辞任した。後任はミチェルに決まったが、その後、クラブは13位と低迷する。フロントはピエール・ジニャック、パイェ、フロリアン・トヴァンといった主力選手を放出した。そして16-17シーズン、彼はモナコの選手となった。

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最終更新:4/10(金) 16:38
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